TomyDaddyのブログ

毎日の健康管理の記録、新聞、雑誌、書籍等の読書について感想を書いていく。

私の「医人」たちの肖像― (64)日野原重明さん⑦と「日野原記念ピース・ハウス病院」 ~1987年8月29日

(64)日野原重明さん⑦と「日野原記念ピース・ハウス病院」~1987年8月29日

 

「日野原記念ピース・ハウス病院」は、新宿から小田急線で1時間半、秦野駅近郊にある。日野原重明さんが作った有名なホスピスである。最近、御殿場線上大井駅から数回にわたって里山歩きを楽しんだ。日野原記念ピース・ハウス病院はこの辺りからも遠くない。箱根に近く、富士山を望む、神奈川県足柄上郡中井町の丘の上にあるのだが未だ訪れたことがない。
■東京周辺にホスピスを作りたい■
●1987年8月29日:

 「がんなどの末期患者が家庭的な雰囲気の中で人生の最期を心も体も安らかにできる家(ピース・ハウス)を東京周辺に―と日野原重明聖路加看護大学学長(七五)は、今、建設準備に追われている。病院の中のホスピスがあり、また末期がん患者たちへのさまざまの対応の試みもあって、ホスピスが非常に注目される昨今である。」
 1987(昭和62)年8月29日の朝日新聞の記事から引用した。その頃、75歳の日野原さんは、ホスピスを造ろうとしていたのだ。
ホスピス「ピース・ハウス」設立■
●1993年:

 日野原さんの念願した「独立型ホスピス「ピース・ハウス病院」が設立されたのは、1993年のことだ。完成までに6年を要したことになる。日野原さんは開設に寄せて次のように書いている。
 「私がホスピスをつくりたいと思ったのは、1967年にイギリスのロンドン郊外にシシリー・ソンダース先生によってつくられてからです。私はそれまでも長い臨床医としての仕事を通して、人間の最期こそがもっとも手厚い看取りによって、心おきなく家族や親しい人たちとお別れすること、そういう場面を設けることではないかと考えてきました・・・。」
■運営の難しいホスピス―さもありなん■
●2015年3月31日:
 
「ピース・ハウス病院」は、六億円余の寄付によって設立され、運営も多くのボランティアスタッフに支えられ「非営利団体」の色彩が濃い。根本的には望ましい終末期医療についての日野原さんの理念と熱意に支えられてきた。設立1993(平成5)年から22年が経過した2015(平成27)年3月31日、運営費の不足等からピース・ハウスは休止となった。完全独立型のホスピスは、院内型に比べて一般病棟で利益を上げることができないので経営が厳しかったのだ。
■ピース・ハウス病院の休止と再開■
●2016年4月1日:

 2015年4月から休止を余儀なくされたピース・ハウス病院だが、翌2016年には再開を求める多くの声に応えて、過去に17年間、同院で院長を務めた西立野研二氏を招聘し、また15人の看護師を採用し、「日野原記念ピース・ハウス病院」として再開した。病床数は22床である。2016年4月1日に行われた開院式には同院理事長の日野原さんも出席した。
 「このように皆様の前であいさつができることに、私の心臓はどうしようもないほどひどく動悸を打っています」と、日野原さんが話されたという記事を見つけた(地元のミニコミ紙「秦野タウンニュース」)。
■日野原さん逝く■
●2017年7月18日:

 ピース・ハウス病院が再開した翌年、2017年7月18日に日野原さんは逝去された。逝去にともない同病院の設立母体であるライフ・プランニング・センターの後任理事長には、永年にわたって日野原さんを支えて来た道場信孝さんが就任した。
 ピース・ハウススを創設に着手した時、日野原さんは75歳。さらに、聖路加国際病院の院長に就任するのは、5年後の1992年、80歳のときである。まさに年齢は関係なく常に新しいことを追求していた。
(2019.3.28)
(私の「医人」たちの肖像―〔64〕日野原重明さん⑦と「日野原記念ピース・ハウス病院」~1987年8月29日)