TomyDaddyのブログ

毎日の健康管理の記録、新聞、雑誌、書籍等の読書について感想を書いていく。

私の「医人」たちの肖像―(109)菊池 博さんと「大和臨床懇話会」~1993年1月10日(日)

(109)菊地 博さんと「大和臨床懇話会」~1993年1月10日(日)

 

神奈川県大和市の菊地 博医師(開業医)から、「大和臨床懇話会」という開業医師の生涯学習の会を開催するので取材に来て欲しいと招かれた。大和市は私の住んでいた川崎市多摩区から30分くらいで行けるので私が取材に行った。松の内が過ぎたばかりの1993年1月10日(日)の午後だった。
 「大和臨床懇話会」の世話役の菊地さんは、神奈川県大和市で菊地内科クリニック院長であるが、市井の医師に止まらず地域医師の生涯教育に熱心であった。さらに篤学の方で、「英独仏ラ-和医学用語小辞典を自ら編集して医学書院から出版していた。
第262回特別研修会―「人間の生と死を考える」をテーマに
●1993年1月10日(日):
 会場は大和市の大和グランドホテルだった。この会は医学・医療に関するテーマで会を重ね、今回は第262回の特別研修会だという。開業医の菊地博さんと野村俊太郎医師が、代表世話人をつとめていた。正月気分の少し残った日にも関わらず会場には関西・東海地域からも含めて50名以上の医療関係者が参集していた。
 谷 荘吉さん(上尾更生病院ホスピス病棟長)の司会の下で、徳永 進さん(鳥取赤十字病院内科部長)、山崎章郎さん(聖ヨハネ桜町病院ホスピス科部長)のお二人が、錯誤を繰り返しながらの地域医療、ホスピス医療における自らの実地体験から報告した。講演者のお二人はまだとても若い方で、徳永さんが、時には「歌」、時には「現代詩」の一節を声高に吟じながら、素朴で多様性のある医療の在り方を示したのが印象深い。
ホスピスとは何か?■
 山崎さんは、ホスピスのあり方を次のよう三本にまとめていた。(1)医療側がかかわることがあるが基本的に患者さんの残り少ない人生を応援する場、(2)時間と共に失われていく患者さんの機能を補って、痛みをとり、その人がその人らしく生きられるように応援する場、(3)医療の場ではなく患者さんの最期の人生の場、である。
 ホスピスの位置づけは、現在でも、上記の山崎さんの「まとめ」とあまり変わっていないのではないだろうか?1993年当時には、日本ではまだそれほどホスピスは多くなかった。日野原重明さんが作った「ピース・ハウス」の創設も1993年だった。
 次いで、織畑秀夫さん(東京女子医大名誉教授)の特別発言があった。織畑さんは著名な外科医であったが、自らの糖尿病患者体験から医師の不養生を戒めて、「隗より始めよ」と訴えていた。
 ホスピスには辛い想い出がある。今から15年くらい前に合気道の稽古に共に励んだ友人を膵臓癌で失った。9月11日に「もう何を飲んでもいいと先生に言われたから」と病院から外出してきた彼が言うので、私は一緒にビールを飲んだ。そのあと、丘の上にある多摩市の聖ヶ丘病院「ホスピス病棟」に彼は戻っていった。それきり見舞うことはできず、一週間後、9月18日に50数歳の彼と私は幽冥境を異にした。
 今回も古いメモを手掛かりに、私の「医人」たちの肖像を描いた。菊地さんには、この後お目にかかっていない。徳永さん、山崎さんは卓越した「医人」として活躍されている姿を、新聞記事や雑誌論文などで頻繁に拝見した。
(2019.6.10)
(私の「医人」たちの肖像―〔109〕菊地 博さんと「大和臨床懇話会」~1993年1月10日)