TomyDaddyのブログ

毎日の健康管理の記録、新聞、雑誌、書籍等の読書について感想を書いていく。

私の「医人」たちの肖像ー (89)高久史麿さんと対談「21世紀への内科学―分子内科学の進展と内科学の統合」 ~1990年9月13日(木)

(89)高久史麿さんと対談「21世紀への内科学―分子内科学の進展と内科学の統合」~1990年9月13日(木)

 

 1990年9月13日(木)。少し早めに出社した。朝の8時前、高久史麿先生(東大教授)に電話した。「高久史麿―井村裕夫対談」を電話で交渉して、出席の快諾をいただいた。1991年4月開催予定の第23回日本医学会総会に向けての、1991年新年号の企画であった。
 高久先生は超多忙な方なので、アポイント取得が難しいが、午前8時前には教授室に居られるので早朝の方が連絡を取り易いと聞いていた。それを実行した。高久先生は、その頃、自治医科大学(栃木県)から東大教授(第三内科)へ移籍したばかりなので、早朝の空いている時間帯に長距離通勤をしていたらしい。
■対談:「分子内科学の進展と内科学の統合」
 対談「21世紀への内科学―分子内科学の進展と内科学の統合」は、1991年4月5~7日まで京都市で開かれる「第23回日本医学総会」の広報を意図していた。インターネットのない時代だったので、医学界新聞は人気の情報媒体であった。3年前の第22回医学会総会(東京)の準備委委員長が、高久史麿先生で、第23回総会(京都)の準備委員長が、井村裕夫先生だった。
 「21世紀への内科学―分子内科学の進展と内科学の統合」というタイトルで、収録した対談を医学界新聞・第1927号(1991年新春1号)の年頭を飾った。
■分子内科学に変貌する内科学
 内科学は、遺伝子工学、分子遺伝学の興隆の影響で、「分子内科学」に文字通りその頃から変貌して来ていた。高久史麿先生には、このあとも分子内科学の頂上ともいえる「遺伝子治療」、あるいは「医師国家試験」をめぐる座談会、等々に出席いただいた。企画に困ったときには、高久、井村両先生に相談すれば、その時々の「旬のテーマ」を教えてもらえるというくらいだった。
 医学界新聞の担当者として在職中にお世話になった一番目が日野原重明先生であり、二番目が高久史麿先生だろう。その次が井村裕夫先生だった。名刺フォルダーに神戸大学教授(内科)という井村さんの名刺があったので、京大に戻られる随分前から井村さんにはお目にかかっていたようだ。
(2019.5.19)
<追記>高久史麿さんは、2022年3月24日、逝去された。91歳だった。高久史麿さんの長男の高久智生さんは、父親と同じく血液内科の医師(順大血液内科・准教授)である。

(私の「医人」たちの肖像―〔89〕高久史麿さんと対談「21世紀への内科学―分子内科学の進展と内科学の統合」~1990年9月