TomyDaddyのブログ

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私の「医人」たちの肖像―(19)日野原重明さん ⑦「日本オスラー協会」発足と『平静の心―オスラー博士講演集』の発刊~ 1983年8月1日(土)

(19)日野原重明さん⑦「日本オスラー協会」発足と『平静の心―オスラー博士講演集』の発刊~1983年8月1日(土)

 

1983年8月1日(土)。日本オスラー協会が発足した。『平静の心―オスラー博士講演集』(日野原重明・仁木久恵訳)が、その日に併せて医学書院から発刊された。医学界新聞では、「日本オスラー協会発足」の記事を、第1567号で掲載した。さらに、「日本オスラー協会の発足と『平静の心』の出版の一文を、日野原重明先生から寄稿して頂いた(第1573号掲載)。
■原著Aequenamitas (平静の心)とは?■
●1983年8月1日(土):
 
ジョンズ・ホプキンス大学(Johns Hopkins University)医学部・内科教授であったウイリアム・オスラーは、それまでに医学生・看護師・実地医家に対して行った十八回の講演をまとめてAequenamitas (平静の心)と題して、1904年に出版した。さらに、オスラーはジョンズ・ホプキンス大学を1905年に辞して北米を去り、英国に渡る前に行った四回の特別講演と併せて合計二十二となった講演集を、1906年に第2版として出版した。これと同じ内容の第三版(1932年)を第二次大戦直後(1945年)、日野原重明さんは、当時マッカーサー司令部軍医団のバウワーズ(W.F. Bowers)軍医から、譲り受けた。
■日本語版『平静の心』の出版と日本オスラー協会の発足~1983年9月■
 日野原さんが、2002年(91歳)頃、朝日新聞に連載していた「私の証・あるがまま行く」というエッセイには次のように書かれてある。
 戦後、聖路加国際病院は米軍に接収され、米軍の陸軍病院となった。その結果として、海外情報に触れる機会が増えて、上述したように米軍医を通じてオスラーの講演集を入手した。これを読んで日野原さんは、「臨床医に必要なものはこれだ。」と確信した。そして、早くも1948年には、『アメリカ医学の開拓者、オスラー博士の生涯』を、自ら翻訳し出版している。さらに、感動の心で読み継いできた講演集『平静の心』から十五編、オスラーが1919年に英国オックスフォードの自宅で亡くなるまでに行った講演の三篇を選び、併せて十八編の講演を、10年の歳月を要して日本語に翻訳した。これを日本語版『平静の心―オスラー博士講演集』として、1983年に、日野原さんは発刊したのである。
 『平静の心(初版)』は、日本オスラー協会の発展と歩を併せて、医師・看護師・医学生を初め多くの読者を得た。この時から20年を経て、新訂増補版『平静の心』が、2003年に発刊され、現在に至っている。
(2019.5.21)
(私の「医人」たちの肖像―〔19〕日野原重明さん⑦と「日本オスラー協会」発足と『平静の心―オスラー博士講演集』の発刊~1983年8月1日)