TomyDaddyのブログ

毎日の健康管理の記録、新聞、雑誌、書籍等の読書について感想を書いていく。

 「やすむ力 労働者の国は休暇の大国!」(『ロシアの中のソ連 さびしい大国、人と暮しと戦争と』、馬場朝子)を読み継いでいる

 「オブローモフ」はロシアの作家ゴンチャロフの作品だ。主人公オブローモフは何人もしない怠け者の代表として有名だ。それでも生活できている貴族の倅だからだ。読んだことがあるはずだ。ロシア文学科の学生たちは、『オブローモフ」や「エセ―ニン」に憧れたりした。

 馬場さんの「やすむ力 労働者の国は休暇の大国!」を読むと、「そうだよな、ロシア人てほんとうはゆっくり休むのが好きないい人たちなんだが・・」と思った。

 <ロシアの人たちが一年のうちで最も楽しみにしているのは、夏のバカンス。長かった冬の雪が溶けはじめると、夏のバカンスの計画に余念がなく、職場でも夏をどう過ごすかが話題の中心になる。ロシア人たちの休みにかけるエネレルギーには常日頃驚かされる。>

 そういうことなんだそうだ。帝政ロシアの時代からではないらしい。

 <1917年、社会主義を目指したロシア革命が起こり、その後、「労働者の国ソ連」が誕生した。ソ連政権は面子をかけて労働者の休暇制度に力を入れた。1967年までに年12日、その後は15日、職場によって追加され、寒冷地の労働者は45日、学術研究所員は24~48日などとなった。>

 ということはソ連の労働者はゆっくり休んでいたのか?働いても働かなくても給料は同じだからというわけでさぼるのが普通だったらしい。1991年にソ連が崩壊したあとでロシア文学者の中村健之介さんが「国民劣化の70年」といったタイトルでソ連時代の70年間にロシア人がどんなに怠け者でぐーたらな国民になったかを書いていたのを読んだことがある(何かの雑誌への寄稿であった。コピーがファイルにあるかもしれない。)

 続く

「4 パスツール研究所の黄金期を支えたメチニコフー波瀾あ人生を歩んだ異才」(『インフルエンザウイルスを発見した日本人』山内一也))を読む

 インターフェロンの発見者が長野泰一という日本人だということは世界で認められているのだろうか?わからない。長野泰一の名前は知っている。いま読んでいる山内保がインフルエンザウイルスの発見者だということは国際的には認知されてはいないのだろう。

 <知られざる医学者 山内保とは誰か。黄金期のパスツール研究所に連なる病原体の狩人たちの研究のドラマ。>
 これが本書の表紙の宣伝文句である。その通りの面白さだ。メチニコフはロシア人である。

 <エリ・メチニコフは1845年5月16日、退役軍人の父とユダヤ系の知性的で美しい母と野中流家庭で、五番目で最後の子どもとして生まれた。メチニコフの姓は、17世紀にピョートル大帝の家庭教師で、中国大使をつとめたモルダビア系の父方の祖先のなめに由来する。>
 1845年といえば、私が生まれた1947年より102年前に過ぎない。「17世紀にピョートル大帝の家庭教師・・・」だなんて、そんなルーツが本当に分かっているんだとしたら名門の生まれとなる。母がユダヤ系としてもメチニコフもユダヤ系というのとは違うだろう。
 面白い記述(コラム)を見つけた。「日本と強い絆をもった次兄のレフ・メチニコフ」というものだ。日本に来ていたメチニコフはお兄さんだったbのだ。

 <メチニコフの7歳年上の兄、レフ・メチニコフは明治の初めの日本と強いつながりがあった。革命家として活躍していた彼は、(19世紀の帝政ロシアで革命家とはどういうことか?)1871年パリ・コミューンが勃発すると急遽パリに行き救援活動に奔走したが、コミューンは短期間で敗北した。その時、極東で起こった革命、明治維新のニュースに接し、日本に強い興味を抱いた。すでにヨーロッパ13カ国の言語に通じていた彼は、ジュネーブで日本語を教えて貰える人を探し、1872年、偶然、大山巌(後に陸軍元帥)に出会い、彼から日本語を教えてもらい、レフがフランス語を教えることになった。大山は、ヨーロッパの軍隊制度を調査しながら日本の大学で教鞭をとれる人材を探していた。そこで、ジュネーブを訪れた大久保利通、つづいて木戸孝いんにレフを紹介した。木戸とは五時間も日本語で話をしていたという。最後に岩倉使節団が訪れ数カ月滞在した。その間、日本語での会話や文通を通じて、意見を交換した結果、彼は日本に招聘されることになった、
 1874年(明治7年)、レフは東京外語大学のロシア語教師として赴任した。体調がすぐれなかったため、二年弱の勤務に終わったが、彼は日本を愛し、1881年に『日本帝国』という700ページを超すフランス語の大著を書き上げていた なお、メチニコフの長兄は、トルストイの小説『イワン・イリッチの死』で、ふとした不注意な事故が元で病気になり、身内や知人からも精神的に見捨てられ、孤独と苦痛の中で寂しくしんでいく高級官吏イワンのモデルになった人物である。>

 あまりに興味深いのでコラムを全文引用した。メチニコフが書いた『近代医学の建設者』(宮村定男訳、岩波文庫、1968)も手に入るので後で読んでみたい。また、引用したコラムにある『イワンイリッチの死』のモデルがメチニコフの長兄だなんってまるで小説のようだ。晩年のトルストイは死をテーマにして多くを書いた。『イワンイリイチの死』は昨年読み返したばかりだった。「俺の人生は詰まらなかったと絶望に苛まれて死にいたろうとするイリイチは突然に光の渦に囲まれて至福を感じながら死んでいくのではなかったろうか?

<付記>
 返却期限がきたので大急ぎで『インフルエンザウイルスを発見した日本人』山内一也)を読了した。本書は、タイトルにある山内保のことは書ききれていない。山内保さんが留学したパスツール研究所、そこで出会ったメチニコフのことのほうが詳しい。最後に、「山内保事件」という項目が興味深い。山内さんは晩年は渋谷で内科開業医として、糖尿病や動脈硬化症を専門にしていた。
 <1932(昭和7)年9月20日国民新聞夕刊に、「学良の阿片を種に山内医学博士の怪行動」と言いう記事が掲載された。っそれによれば、山内は満州事変(1931年)と上海事変(1932年)の際に帳学良の金庫から押収された阿片の払い下げを受け、前陸軍大臣の南次郎とともに奉天に阿片専売会社を設立すると称して資金を募っていた。・・・・> 奇妙な詐欺事件に連座していたのだ。字直な研究者は晩節を汚したのだろうか?「インフルエンザの発見」は山内保によるものとして世界的に認知されてはいないのだろう。

 合気道の水曜稽古の折に考えた ~「俺は強くて美しい稽古をしている」と思うこと

 本日は合気道の水曜日の稽古日だった。片手取りからの各種の技の稽古をした。本日は「下実上虚」に加えて「俺は美しくて強いのだ」と思うことにした。先週(4月13日)の稽古の折にTNさんに指導を受けた身体の軸を下に落とす姿勢、そしてHYさんに言われた「お爺さん姿勢になってはいけない」と念頭において稽古した。TS師範の姿勢をみても決して体軸が前のめりになることはない。そのことがはっきりとわかった。そこで、臍下丹田に意識を集中してから「下実上虚」の動きを心がけた。これによって遥かに美しい動きができたと思う。

 今日の気になる本。

(1)『満州建国の大義石原莞爾とその告白』(鈴木荘一、毎日ワンズ、1540円)

 <大ヒット作『ロシア破れたり』の著者が放つ衝撃の満州国史!>と宣伝文句にある。著者の鈴木さんは歴史家とのことだ。満州国建国に大義なんてあるのか?満州に行った日本人が筆舌に尽くせぬ苦労を背負ったことは歴史にある・・。

 茅ケ崎里山公園に「三歩会」の仲間と歩いてきた日にChatGPTに興味を持った

 本日は、恒例の「三歩会」の4月の例会であった。今回は神奈川県の県立公園の一つである「茅ケ崎里山公園」を歩いてきた。 詳細は後で書いておく。

 帰宅して、朝日新聞で「ChatGTP」の東京事務所の開設の記事を読んだ。昨日のテレビニュースでも報道されていた。実はChatGPTには余り関心が無かったのだが、ここにきてもはや無関心ではいられないような気がして来た。

 

続く

 

 

 

『ロシアの中のソ連ーさびしい大国、人と暮しと戦争と』(馬場朝子、現代書館、2022年9月25日9を読み始めた

 ロシアのことが気にかかる。ロシア語とロシア文学を学んできたからばかりではない。先日から読み進めている『インフルエンザウイルスを発見した日本人』の参考文献の中に『メーチニコフ(渡辺雅司訳):回想の明治維新ーロシア人革命家の手記』(岩波文庫、1987)を見つけた。この本が気になる。
 旧知の馬場さんの本を見つけてリクエストして届いたので読み始めた。馬場さんが2012年にNHKディレクターを退職したあと5年間もモスクワに住んでいた(里帰りか)のだ。この本はモスクワ・ジャパンクラブ(JBCO)ウエブサイトでの連載「ロシアの中のソ連」に書下ろしとして「大祖国戦争」「ウクライナ侵攻」を加えて単行本にまとめたものと知った。

 昨日(2024年4月14日)の朝日新聞朝刊のフロントラインと言う記事に「なりふり構わずプーチン「皇帝」歴史的圧勝」という大見出しで3月のロシア大統領戦のことが載っていた。興味深いのでこの記事を先に読んでみる。

プーチン大統領をめぐる主なできごと
1999年12月 エリツィン大統領が辞任を発表し、プーチン首相が大統領代行に。
2000年3月  プーチン氏が大統領に初当選
2004年3月 再選してプーチン大統領が二期目に
2008年5月 憲法の規定で大統領選に立候補せずに退任。後任のメドベージェフ氏の大統領就任後も、首相として権力を維持。
2012年3月 大統領選で通算三選。任期は4年から6年へ。
2014年3月 クリミア半島の併合を一方的に宣言。
2018年3月  大統領選に再選して通算4期目に。
2020年7月  憲法改正により大統領の任期をリセット。新たに2期12年、2036年まで可能に。
2022年2月  ウクライナ侵攻を開始。
   9月  ウクライナ東・南部のドネツク、ルハンスク、ザポリージャ、ㇸルソンの4州を一方的に併合宣言。
2024年3月   「歴史的な圧勝」で再選し、通算5期目に。

 <すでに24年間にわたり権力を握る71歳のプーチン氏が36年まで大統領を続ければ、ロシア帝国女帝エカテリーナ2世や、ソ連スターリンを超える。既に「皇帝」にも例えられている。>

 プーチンのロシアは何処へいくのだろう。

 最後に気になる本を書いておく。

(1)『だからあれほど言ったのに』(内田樹、マガジンハウス、1100円)
 内田流「日本人論」、最新刊とのことだ。なにが書いてあるのだろう。「新自由主義の迷走、税の不均衡、低レベルな政治、」「不自由な国」への警告の書。っていくことらしい。内田さんの本もしばらく読んでいないな。

 

 「家庭菜園入門」講座を稲城で受けた日に恒例の朝日歌壇と俳壇を読む

 久しぶりに暖かい春日だ。同伴者のYさんは髪のカットに私は「家庭菜園入門」講座に午前中から参加した。春が本格的になった。今年は桜が10日間くらいは遅かった。

 朝日歌壇や俳壇も春の感じになって来た。

<柔らかな春風はほんわかと包み込み手編みのセーター箪笥にしまう(尼崎市 麻殖生容子)>⇒佐佐木幸綱撰:

<妻の骨壺いっぱいに拾ひたり脚を支えし金具を残して(山口県 山花俊作)>⇒高野公彦、永田和宏共撰:
 こういう歌もあるんだ。生きるとはそういうことなんだ。

<スーパーへ買い出しに来るママチャリの力士みかけて大阪は春(吹田市 中村玲子)>⇒永田和宏佐佐木幸綱共撰;

<原爆の父なるオッペンハイマーゴジラが吼えた三月十日(新庄市 大山慎一)>⇒馬場あき子撰:
 ゴジラもオッペンハイマ―も映画になったんだ。馬場さんのコメントは読みすぎ。

 俳壇が面白い。

<すぐ上を本物通る犬ふぐり(町田市 岩見陸二)>⇒小林貴子撰:

 面白い俳句だね。それにしても、あの可愛い花の名が「お犬のふぐり」なんて・・。

合気道の土曜日の稽古で気づきあり ~腸腰筋に意識して体幹を正す

 本日は合気道の土曜日の稽古であった。相半身の腸面打ちからの各種の技の稽古をした。稽古開始から1時間くらいのときに自ら望んでTNさんと稽古した。TNさんは57歳くらいの方だ。私よりも20歳くらい若くてかつ学生時代から合気道の稽古をしてきた方だ。既に数年前に六段だ。SE師範の愛弟子でもある。TNさんと正面打ちの捌きからの投げの稽古をした。その時に私の姿勢が前のめりになり体幹が整っていないことを指摘された。全く同じことをHYさんからは「お爺さん姿勢」になってはいけないと言われたことがある。目から鱗であった。合気道は重力を身体の真ん中に通しておかねばならない。捌く時も気で押さえるときも体幹は身体の中心においておくことが肝要である。要するにどっしりとしており、わかりやすくいうと「偉そうに強そうにしておく」ほうがいいのである。それもさり気なくである。TNさんとの稽古のときに体幹に一本筋を通す姿勢をとるには腸腰筋を鍛える必要を指摘された。「臍下丹田」を鍛えるということは姿勢を正して腸腰筋が自然と鍛えられた状態を自ら作ることと気づいた。そこで先日読んだ美木良介さんの「ロングブレス」のことを思い出した。

 <第2章 腸腰筋を鍛えて若返ろう!」(美木良介、『ロングブレスダイエット』、徳間書店)を読み返した。
腸腰筋エクササイズ 初級編】スクワットに呼吸法を取り入れゆくりと腰を落としていく。
(1)両足を肩幅より広く開き3秒でゆっくりと鼻からを吸う。このとき、膝は矢山ℊふぇた状態にする。
(2)口から7秒で強く息を吐きながら、ゆっくりと腰を落としていく。これを6回繰り返す。腰を元の位置に戻す時には、膝は真っすぐに伸ばさず、やや曲げた状態まででよい。つねにお腹をへ込ませる意識忘れずに。(つまり臍下丹田に意識を置き肛門を閉めることと思う。)
 以上の

ところ腸腰筋エクササイズを毎日の木刀振りの最後に加えることにした。