TomyDaddyのブログ

毎日の健康管理の記録、新聞、雑誌、書籍等の読書について感想を書いていく。

東高根森林公園を散策した

 いまから30年くらい前に東高根森林公園に車で行ったことgある。そのときは小学校の行事で参加した子どもを迎えに車で行っただけでチョット入り口の白樫林を見ただけであった。今回は東生田4丁目のヴァイオリン工房にヴァイオリンの修理を頼んだ帰りに立ち寄った。川崎市に45年間住みながら初めてである。本日は水曜日なので駐車場は無料開放である。到着したのは11時過ぎであるが80数台分がはいるというう駐車場は満杯であった。傍らに縦列駐車しよう試みていたら幸いに一台のスペースが空いた。民家い対面して前向きで止められた。

■みどりと史跡の森■

 小田急線の登戸と田園都市線溝口の中間くらいの丘陵地に残存する樹林地と古代の遺跡をを保全した風致公園である。1970年代に行われた住宅団地建設に伴う調査により、弥生時代から古墳時代にかけての集落跡や樹齢150年に及ぶ白樫林が残されていること画明らかになったことから都市公園として保全されることとなった。起伏に富んだ園内では自然観察会や湿生植物園の水田で米作り体験などの行事も行われている。園内の低地に作られている池には沢山の鴨が飛来してきており群れを幾つかなして泳いでいた。鴨は渡り鳥の筈だからどこからやってきて何処へいくのだろうか?漆黒のつやのいいカラスが飛んでいた。望遠レンズを付けたニコンの大型カメラを方にしたキャメラマンたちが林の藪にカメラを向けて屯していた。Birdsカメラハンターである。なんの鳥が撮れれるのだろうか?彼らは写真をとるよりもカメラらを通じた同じ趣味のの仲間たちの会合のようにも見えた。公園面積は11.8ha(ヘクタール)だそうだ。広さは東京ドーム5つ分くらいといったらわかりやすいだろうか?小さな山を三個連ねたくらいの広さである。標高55メートルの高台にある古代芝生広場の下には、弥生時代から古墳時代にかけての大きな集落跡が今も地下に眠っているのだという。ということは、大昔からこのあたりは人間が暮らしやすい地域であったということだ。

 ともあれ、これだけのみどりが公園として保全されたことを慶び歓迎したいと感じたひと時であった。