NHK短歌講座テキスト『はじめて歌をつくる人のために』(岡井隆)が書棚からでてきたので読んでいる。岡井さんは、今年の夏に世を去った。この豪放磊落な生き方を生きたひとを模倣すべくもないが、岡井さんはこの入門書でこういっている。
<模倣もひとつの才能でありまして、真似の上手下手というのも、作歌の大切な要素です。>
岡井さんはこうもいっている。「模倣するためには、お手本が必要ですが、お手本には何がいいのか各人でちがうはずで、ひとつには決められません。」誰をもお手本にしてもいいのです、と言っている。
「霜ふりて一もと立てる柿の木の柿はあはれに黒ずみにけり」
(斎藤茂吉 『赤光』より)
岡井さんにも模倣の時代があって、17歳の岡井さんは斎藤茂吉の「自然詠」が好きだったのだという。「お手本は、一時期、一人の作品であってもかまわない。そのお手本を十分に真似しつくしたと思ったら、自然に、また次のお手本をもとめていけばいいのだ」と書いている。
さらに、岡井さんは、補足的な注意として次のようなことを書いていた。
(1)自製の秀歌集をつくること。
(2)時に応じ事に即して浮かんだ言葉を、なるべくその場で書きとめておく。なるべく韻文で書いておく。
(3)上の句(5・7・5)は他人の言葉で下の句は自分で作ることもよい。
ここまで「模倣」の概念をひろげていいとすれば、もはや「パクリ」すらも遣ってみて良いことになる。
岡井さんは、「万葉集の歌に深く学んだ近代の歌人のほうが、直接のお手本として役に立つと思うのです」と書いている。お手本の系列には次のような歌人がいる。
(1)『アララギ系列』の作家には、正岡子規・伊藤佐千夫・長塚節・斎藤茂吉・島木赤彦・中村憲吉・古泉千樫・土屋文明がいる。
(2)「明星」系の作家には、与謝野寛・与謝野晶子・北原白秋・窪田空穂・石川啄木・吉井勇らがいる。
私は、アララギの名前の由来もハッキリとはしらないのだが、なんとなく流れが掴めた。私が少年時代に感銘を受けたのは石川啄木である。
「己が名をほのかに呼びて涙せし十四の春にかへる術なし」
早熟な天才の名をほしいままにした啄木の歌がすきだった。(自分の名前をふとつぶやいて涙を流したあの14歳のの時の春に戻る方法はなのだ。)この歌はいまさら真似すべくもないだろう。
「葛の花踏みしだかれて色あたらしこの山道を行きし人あり」(釈超空)
(もう長いことこの島山の道をあるいているが、誰一人行き逢う人もいない。そうした山道にあざやかな赤紫の葛の花が、踏みにじられて鮮烈な色を土ににじませている。ああ、この山道を自分より先に通った人があるのだ。)
この釈超空(折口信夫)の歌が好きで、里山を歩くたびに思い出していた。「色あたらし」というのは、葛のはなの赤紫を土に滲ませているのではなく、「踏みしだかれて、道が「人がいまあるいたばかりだ」と感じるようにふみ跡が新しい、という情景であると思う。
「落ち葉ぬれ 踏みしだかれて 道あたらし 言葉すくなく 歩む里山」
先日、雨の日の翌日に、家内と近くのよこやまの道を散策行ってきた。落ち葉が濡れたあとを、かなりの人が歩いて行ったので、落ち葉が踏みしだかれて、いかにも人が歩いた跡があきらかであった。恒例の散歩なので二人で話すこともなくただ歩いて行った。このときに、超空の「踏みしだかれて色あたらし」を思い出しながら、上記のような歌を詠んだ。釈超空の「パクリ」でやだな、と思いながら作った。今回、岡井さんの「模倣のすすめ」を読んで、なにも恥ずかしがることはなんだと気がついた。