朝日が輝いているとトイレ掃除をしたくなる。午後からの合気道の稽古に備えてて朝からまずトイレをピカピカンに磨いて床掃除をした。
<この人は誰かと見てる瞳孔に吾が映りて首かしげる母(豊後高田市 榎本孝)>
<堰(せき)あれば多摩川の水たゆたひて中洲の石の白く定まる(多摩市 豊間根則道)>⇒ 佐々木幸綱撰:
榎本さんは認知症の母を詠った。私の母も81歳ころには息子の私をわからなくなっていたと思う。故郷を訪ねていっても「嬉しそうではなかった」のだ。こういう歌も詠めるんだね。
豊間根さんの多摩川を詠んだ歌はうつくしい。叙景歌っていうのかな?
<猛暑日を助けてくれたそうめんに別れを告げて作るボンゴレ(五所川原市 戸沢大二郎)⇒高野公彦撰:
戸沢さんは常連の入選者だ。この歌って日常詠っていうのかな?
<年ごとに急かされ惜しむ夏なりきつくつく法師は今年は鳴かず(浦安市 菊竹佳代子)>⇒永田和宏撰:
この歌で初めて気がついた。猛暑の今年は9月まで夏のままで10月に急に秋になった。中間がない。そのためか晩夏のセミの声ーつくつく法師とヒグラシ(かなかな)という鳴き声を聞かなかった。自然がおかしくなっているようだ。
<「カルピス」は内モンゴルがルーツとは知らず飲んでた初恋の味(茅ヶ崎市 藤原安美)>⇒馬場あき子、高野公彦共撰:
今週も「魂の叫びのような歌」は載っていなかった。斎藤茂吉も石川啄木も「もっと魂から叫んでいた」ような気がする。自分では詠えないのだが・・・。
さて、「短歌時評」で歌人の小島なおさんが「なにも見えねば」のタイトルで前川佐美雄さんという歌人を紹介していた。記憶と記録のために転記したい。
「<言葉の魔術師>と呼ばれた塚本邦雄、<現代の巫女>と呼ばれた山中智恵子。その才能を戦後短歌に輝かせた両歌人の師であり、「現代短歌の発端」として比類のない作品世界を展開した前川佐美雄。代表歌集『植物祭』、『大和』を完本で収録した三枝昴之編『前川佐美雄歌集』(書肆侃侃房)が刊行された。
春がすみいよいよ濃くなる眞昼(旧字)間のなにも見えねば大和と思え 『大和』
<コメント>前川佐美雄さんの歌集を借りて読んでみたい。
続く