TomyDaddyのブログ

毎日の健康管理の記録、新聞、雑誌、書籍等の読書について感想を書いていく。

『大河の一滴』(五木寛之)がやってきた―何も期待しないで生きる!

 半年くらいまえに稲城市図書館にリクエストをしていた『大河の一滴』(五木寛之)の順番がきた。早速、読み始めた。予測通りの五木節が書いてある。五木さんがたしか「日刊ゲンダイ という新聞に連載されていたエッセイ(「風に吹かれて というタイトルだったろうか)を読んで以来、五木さんのエッセイを読んできた。

 <シェークスピアの『リア王の』の登場人物がつぶやくように、「人は泣きながら生まれてくる のだ。>
 <まず、これまでの人生観を根底からひっくり返し、「人が生きるということは苦しみの連続なのだ」と覚悟するところから出直す必要があるのではないか。>
 冒頭に、上記のようなことが書いてあった。

 <私たちは「泣きながら」この世に生まれてきた。私たちは死ぬときは、ただ一人で逝く。恋人や、家族や、親友がいrたとしても、一緒に死ぬわけではない。人はささえあって生きるものだが、最後は結局ひとりで死ぬのだ。・・・・だから、親は子に期待してはいけない。子も親に期待すべきではない。人を愛しても、それはお返しを期待することはできない。愛も、思いやりも、ボランティアも、一方的にこちらの勝手でやることではないか。そう覚悟したときに、なにかが生まれる。・・・・だから夫は妻に期待すべきではない。妻も夫に期待すべきではない。愛情も家庭も、「老・病・死」するものである。・・・・>

 少し長めの引用をした。特に、最後の「夫は妻に期待すべきではない。妻も夫に期待すべきではない」という件を読むと、「それではあまりにも寂しすぎるではないか」、という人が殆どだろう。「私はこんなに夫に尽くしてきたのに・・・」とか、「一生懸命世話して育ててきたのに,子どもたちは・・・」という声はよく聞くことでもある。しかし、考えてみれば、子どもは自分の親を選べないし、自分の意思で生まれてきたわけではない。親は欲しくて子どもを産んだのであろうから、責任をもって育て上げる義務がある。しかし、育ってしまったら、成人した子どもは別人格であり、既に他人である。そう思って、五木さんのエッセイを読み進めるとフット心がかるくなる。
 「なにも期待しないで生きる」というタイトルが上記の件についていた。これから、読み進めるので後日に感想を書きたい。