TomyDaddyのブログ

毎日の健康管理の記録、新聞、雑誌、書籍等の読書について感想を書いていく。

読書連鎖で『死顔』(吉村 昭)を読んで思うこと

 先日、箱根の旅のなかで、吉村 昭の『暁の旅人』を読んだ。本日、芦原伸君の『ラストランー北海道』の返却日なので麻生図書館に返しに行った。その折に、返却棚をみたら吉村昭『死顔』があったので借りてきた。これも何かの縁だったのだろう。この作品『死顔』は、吉村昭の遺作で、妻で作家の津村節子さんが、雑誌「新潮」に載せる時には校正などを行ったらしい。
 吉村昭は、平成17年2月に、舌癌を宣告され、翌平成十八年の二月には、取り切れなかった舌癌と、PETで新たに見つかったすい臓がんのために膵全摘手術を受けたのだとう。この術後のなかで吉村は『死顔』の推敲を続けていた。膵全摘手術、舌癌の手術といったら大手術である。
インシュリンの手術を続けながら散歩をしたり、買い物に行ったりしておだやかだったわずかな日々ーー。
 こんななかでも作家は効き続けていたのだ。
 <「死顔」の推敲は、果てもなく訂正し続けた細かい字が並び、それを挿入する箇所が印しれある。>

 吉村の遺作『死顔』は、小説家の私が、癌末期の次兄を見守り、亡くなるまでの短い日々とその葬儀の様子をたんたんと描いている。作者の私は八男二女の兄弟の末子の八男に生まれている。そこには、次兄だけでなく、既になくなった自分の父親、母親、幼くして逝った姉や、兄のことも書いてある。多分、吉村さんは、この作品を書いている時に、実は自分の死のことを考えていたのだと思う。

 津村節子さんの、「遺作についてー後書きに代えて」にこうある。
 「吉村は手術の前に克明な遺書を書き、延命治療は望まない。自分の死は三日間伏せ、遺体はすぐ骨にするように。葬式は私と長男長女一家のみの家族葬で、親戚にも死顔をみせぬよう。・・・」と書き残していたんだという。
 吉村さんは、平成18年7月31日に、79歳で亡くなった。見事な死にようだったと窺われる。『死顔』の中にこうかかれていた。
 「幕末の蘭方医佐藤泰然は、自ら死期がちかいことを知って高額な医薬品の服用を拒み、食物を断って死を迎えた。」
 吉村さんは、願わくば泰然のような死を望んでいたのだろう。同じようなことを、私の好きな山折哲雄さんも言っている。

 ところで、吉村さんの奥さんの津村節子さんも作家である。お二人が結婚されたのは、吉村さんがある雑誌の編集長をしている頃で、奥さんも書く人ではあったがまだ無名であった。後に津村さんは芥川賞を受賞された。その折に、吉村さんはどういう接し方をしたのだろうか。そのへんのところもどこかでエッセイに書いているかもしれない。一方、津村さんが、夫の吉村さんの最後を小説に書いたのではなかったろうか。『愛する伴侶(ひと)を失って―加賀乙彦津村節子の対話集』(集英社、2013)で、津村さんが吉村さんについて書いているのかもしれない。『ふたり旅 生きてきた証として』(岩波書店)という本もある。探して読んでみたい。
 こんあことをおもっていたら、直木賞作家夫婦の小池真理子さんと藤田宜永さんのことを想い起した。小池さんが、朝日新聞に連載している「月夜の森の梟」という連載エッセイがある。もう48回となるが、延々となくなった夫・藤田さんへの思いのたけが書かれている。このエッセイは重くて辛いのでもういいのではと思ったりしている。読者からの便りをみるとよく読まれているようだ。

 今日は、先日の石原慎太郎さんの文章に触発され「死」のことを想った。よく死ぬことはよく生きることだろう。