TomyDaddyのブログ

毎日の健康管理の記録、新聞、雑誌、書籍等の読書について感想を書いていく。

「愛生園90年 差別消えたか」を読んで思うこと

 新型コロなウイルスの感染拡大が止まらない。合気道の仲間に、1年浪人して今年の春から大学生になった年少の友人がいる。彼の場合は、4月の入学から9月までは自宅学習が続き、9月の後期から漸く大学に行けるようになったと話していた。
 2020年11月29日(日曜日)の朝日新聞朝刊の1面には、「コロナ禍で困窮 休退学」の大きな見出しの記事が出ていた。コロナ禍の影響で、全国の国公私立大学のうち少なくとも190大学が、「経済的理由による退学・休学者」が今年度末に増えると予想している。これは、朝日新聞河合塾の共同調査「ひらく 日本の大学」でわかったとのことだ。不況による学生の家計悪化が続き、今後、「経営が困難な大学が増加する」大学も回答者の8割を超えているとのことだ。
 翻って、53年前の学生時代、私も日本育英会奨学金を毎月3000円を受けていた。親からの仕送りがたしか2万円あったので、毎月、2万3000円で暮らしていた。あの時代にコロナ禍のような事態が生じたら私の学生生活は破綻したと思う。今回の事態に接して、国の給付金20万と幾ばくの寄付をあしなが育英会ほかに寄付した。こんなことは雀の涙だ。政府の抜本的な施策を望んでいる。

 ■岡山県ハンセン病療養施設-愛生園■
 本日(2020年12月20日)、日本ペンクラブ主催の「ふるさとと文学」という催しが、東村山市公会堂に於いて、「北條民雄と全生園」のテーマで開かれた。この日本ペンクラブの企画は第5回目のことである。コロナ禍で無観客で行われユーチューブで無料配信された。午後15時10分~17時40分くらいまでの2時間半にわたる良い企画であった。全生園といえば、首都圏のハンセン病隔離施設である。全生園の所在地は東村山市だが、最寄り駅は西武池袋線清瀬である。清瀬結核療養所東京病院」があったところで病院の街として知られる。結核と言えば、数十年前までは、死の病であり多くの前途ある若者たちが命を奪われている。東京病院の附属として、わが国の初の理学療法士作業療法士養成校「清瀬リハビリテーション学院」ができた。
 本日の「北條民雄と全生園」を見て、標題の新聞記事を想い起した(2020年11月30日付 朝日新聞朝刊)。記憶と記録のために、この記事をまとめておきたい。

<瀬戸内海の島に、日本初の国立ハンセン病療養所「長島愛生(あいせい)園」が開園して、12月20日で90年となった。「愛生園」こそが、かの神谷美恵子さんが滞在した療養所ではないだろうか。今では高齢となった入所者はコロナ禍の医療従事者らへの中傷にかつての自分の体験を重ねている。差別と偏見の歴史を繰り返させまいと、次世代に記憶をすなぐ取り組みが続いている。>
<愛生園の北側の浜辺に、老朽化で朽ちかけた桟橋がある。1988年に橋がかかるまでは、船で患者たちがこの浜まで運ばれた。桟橋のすぐ先にあり、当時のまま残る平屋建て建物が患者を収容した「回春寮」だ。回春寮から歩いて北ㇸ10分のところに、萬霊山といわれる納骨堂がある。「差別や偏見がひどくて、骨になっても故郷や家族のもとへ帰れなかったんあだよ」と、島での暮らしが70年を越える中尾伸治さん(86歳)が言う。ピークの戦時中は約2千人が生活した愛生園の入所者は現在132人。全員が治癒しているが社会復帰のハードルは高く、後遺症のケアなどで愛生園にとどまる人が多い。>
 <平均年齢は86.89歳。入所者自治会長中尾さんがいま願うのは、愛生園の遺構と隔離の歴史を後生に引き継ぐことだ。島を訪れるひとに語り部として体験を伝え、同じ長島にある邑久光明園(瀬戸内市)などと合わせ、世界遺産登録をめざす活動にも率先してとり組む。「多くの人に歴史に学んで欲しい。差別の無い世の中が訪れるように」>

 上記は、繰り返すが田辺拓也記者の記事から引用した。ご容赦願いたい。今後も貴重な記事を配信して欲しい。それにしても、コロナウイルウイス感染拡大と時を同じくして、「相模原障害者殺傷事件」そして「京都アニメ放火殺人事件」の裁判員裁判が昨年から相次いでいる。進んだ文明・文化社会を作ってきた私たちは何処かで、なにか大切なものを落としてきたのではないかと思ってしまう。新型コロナウイルスは、現代社会に警鐘を鳴らしているように思えてならない。SNSによる誹謗中傷等も頻発し、あとを絶たない。もっともっと私た謙虚に素朴に生きることに立ち戻る必要があるのではないか。これは自戒の意味で・・・。