TomyDaddyのブログ

毎日の健康管理の記録、新聞、雑誌、書籍等の読書について感想を書いていく。

読書連鎖が起こる

 昨年末から並行して読み進めていた本を読了した。一冊目は、桐野夏生著『夜の谷を行く』だ。文藝春秋に連載中は、同時代を生きた者としてノンフィクション感覚で読んでしまった。毎朝、浅間山をみながら幼少期を過ごしたものとしては浅間山荘事件は余りにも身近であり過ぎた。あれは自らの仲間のおかした罪と罰としか思えなかった。今回読んでみてフィナーレはフィクションなのだろうと感じた。登場人物のほとんどは実名ででてくるので、実話そのものと思ってしまう。作者は巻末に挙げた参考文献を読み込んで書いたのであろう。ともあれ、桐野夏生さんが女性の立場から産む性として女性の眼から書いた。まだ読んでいないが村山由佳さんの『風よあらしよ』も読んでみたい。伊藤野枝は、瀬戸寂聴さんが晴美の時代に『美は乱調にあり』で描いている。女性にとって伊藤野枝は、特異な描いてみたい存在なのだろう。女性が女性を描く。石井妙子さんが、現東京都知事小池百合子さんのことを文藝春秋に書いていた。また、『死の棘』の島尾ミホに焦点をあてた梯久美子さんの本も大作であった。いま女性の書き手にエネルギーを感じる。
 もう一冊、高橋さんの『 ニッポンの小説』も漸く読み終えた。結構面白かった。既に一度ふれたが、この本は二葉亭四迷から最近の綿矢りさまで、七十名くらいの作家の小説や詩を引用して俎上に載せて、解剖というか読み解いていくスタイルをとっている。多くの引用をしているのだが、その引用した文章を読み解く文章の文体が被引用文と同じにしているので、どこからどこが引用で、どれが地の文なのかの見分けが分からなくなってしまう。「こんなのありか」と思うこともあった。とにもかくにも面白い。「ニッポンの小説」の文章が、二葉亭以降に、作られてきたとの指摘は面白かった。「それは文学ではありません」でと取り上げている『うわさのベーコン』(猫田道子 太田出版、2000年)はどんな本なのだろうか。見てみたい。
 高橋源一郎さんは私より5、6歳若いエネルギーのある方だ。今回、「ニッポンの小説」が、明治初期の二葉亭四迷の『浮雲』の原文一致体から始まっているとの説明に触発され、「二葉亭四迷全集(岩波書店刊行、1981年)を買って積読してあるのを思い出した。それに曲がりなりにも私は露文出身でロシア語が読めるのである。早速、『浮雲』を読みだした。そういえば、昨年の夏頃に読んだ相馬黒光さんの『黙維』には、明治女学校の教師であった、若き日の島崎藤村の恋愛のことが出てきたりしたのを思い出した。たしか北村透谷の恋のことも書いてあった。今では古典となった「ニッポンの小説」も若きヴェルテルの悩みのように色恋と死ぬことが書いてある。中原中也の死んだあとの小林秀雄は、死者に代わって物語っているという指摘も興味深く読んだ。まずは、饒舌でエネルギーの固まりのような高橋源一郎さんの本を読んで「読書連鎖」が起きそうだ。