TomyDaddyのブログ

毎日の健康管理の記録、新聞、雑誌、書籍等の読書について感想を書いていく。

『日本文学盛衰史』(高橋源一郎)を読み始めたぞ

 この本は「死んだ男」という章から始まる。「死んだ男」とは二葉亭四迷こと長谷川辰之助である。二葉亭はサンクト・ペテルブルグからの帰途、日本郵船賀茂丸の中でベンガル湾上で亡くなった。

<彼(二葉亭)は『浮雲』とツルゲーネフの翻訳を通じて、新しい言語を創り出した。二葉亭以降の小説は、二葉亭の見つけた言葉によって書かれることになった。しかし、彼はそのことを手柄とは思わなかった。亡くなる前年、二葉亭は「私は懐疑派だ」という文章を発表している。>

 二葉亭は45歳で亡くなっている。今では若すぎる。死後に私の書棚にある10巻本の作品が残されている。高橋さんの本を読んで、二葉亭が新しい日本語を創ったと初めて知った。

<鴎外は秘かに二葉亭を「同志」と見なしていた。そして、二葉亭の「革命」の意味を知る数少ない作家の一人であった。国木田独歩が、二葉亭のツルゲーネフの翻訳を元にして『武蔵野』を発表したのは明治三十一年である。・・・・・『浮雲』を読んでもっとも驚いたのは鴎外であった。そして、『舞姫』を読んでもっとも驚いたのは二葉亭であった。>

<明治四十一年のある日、鴎外宅をなんの前触れもなく二葉亭が突然訪問した。そして、それが鴎外と二葉亭の唯一の面談となった。>

<六月二日、啄木石川一は染井信照庵で二葉亭四迷の葬儀の受付をしていた。啄木はこの年の三月に校正係として朝日新聞に入社したばかりであった。・・・・・・「森林太郎」目の前で書かれた、その文字に啄木は顔を上げた。確かに、軍医総監である鴎外森林太郎であった。>

<すでに、訪れる者も尽きた受付で、退屈しのぎに啄木は歌を作っていた。歌はいくらでも、すらすら鼻唄でも歌うようにできた。そして、歌ができればできるほど啄木の絶望はつのるのだった。
 システムにローンに飼はれこの上は明ルク生クルほか何がある
 ぼくはただ口語のかおる部屋で待つ遅れて喩からあがってくるまで

  啄木に二葉亭の葛藤はなかった。だが、二葉亭の知らない葛藤を啄木たちはあじあわねばなんらなかたのである。>

 この本は実に面白そうだ。これは、「日本文学盛衰史子」という「小説」なんだから、史実ではないだろう。上に引いた<〇〇>を読むと、まるで、二葉亭四迷森鴎外夏目漱石石川啄木が同時代にいきていたこと、そしてまるで私の会社の同僚のようにも覚えてくるから不思議である。
 二葉亭四迷の葬儀の受付をしていて、啄木が退屈まぎれに作ったうた、現代の若手歌人の口語短歌である。一つ目が、島田修二、二つ目が、加藤治郎の作品である。読んでみても、どこにも引用の断り書きはないようである。こういうのってありなんだろうか。それにしても面白そうだ。