TomyDaddyのブログ

毎日の健康管理の記録、新聞、雑誌、書籍等の読書について感想を書いていく。

「森と湖のまつり」(武田泰淳)を読んでいる

 「森と湖のまつり」(武田泰淳)を読んでいる。今さらという気がしないでもない。筑摩書房の「武田泰淳全集」を買い求めた。「上海の蛍」なんかも持っている。「富士」は、MIから借りたままである。「ひかりごけ」も読んだが今から考えると私は武田泰淳のよき読者ではなっかんだ。先月、芦原 伸くんの「ラストカムイ」を読んで、「森と湖のまつり」を書棚からぬきだしてきた。この本は、何処かの古本屋で買ったのかもしれない。
 泰淳さんは、このいささか長い物語をどういう意図でかいたのだろうか?

 「ラストカムイ」の、第5章に、「森と湖のまつり」の誕生秘話、という件がある。

 「びっきと美年子さんを、武田泰淳に紹介したのは実は私なんですよ」
 澁澤幸子さんから、当時の意外ないきさつを伺うことが できた。
 幸子さんが津田塾大学を卒業して間もない頃、当時のボーイフレンドから「武田泰淳
 の妻・百合子はぼくの実姉なんだ。都内のお寺に住んでいるから、一緒に訪ねてみな 
 いか」と誘われた。・・・・・
 「そのうち泰淳さんが、「小説の題材を探している」とおっしゃるので、アイヌの青
 年と結婚した友人がいると話したんです」

 こいう経緯で、泰淳さんは、砂澤びっきと出会うことになったらしい。ほんとうなんだろうか。本当なんだろう。武田泰淳さんは、短いが充実した北大の法文系の講師の時代に、アイヌに興味を抱いていたのはたしかなんだが。泰淳さんが、「森と湖のまつり」の単行本のあとがきにこう書いている。

 「私は昭和二十一年の秋から、二十二年の春にかけて、北海道大学で講義した。できたての法文学部には、まだ完全な宿舎の設備がなかったので、、教員集会所のだだっぴろい二階で、運動部の合宿のような生活をした。食料もとぼしかったそのころ、ストーブの火の消えた夜、アイヌ語の講座をうけもっていた知里真志保さんから、お話をうかがうのが楽しみだった。」

 このあと、泰淳さんは、長編の資料集めのたに、北海道に取材旅行に再び訪れている。北大から東京にもどったときに、澁澤幸子さんに、砂澤びっきを紹介されて、「森と湖のまつり」の構想が湧いてきたのかもしれない。だが、泰淳さんはこうも書いている。

 帰京したが、長編にとりかかる意欲が、やはり湧かなかった。らうすへの旅の印象から、小説とも戯曲ともつかぬ「ひかりごけ」一編を「新潮」にはっぴょうしただけで、一年間、こたんの人々については一語も書ききすことができなかった。自分 には、とても無理な題材だと、あきらめていたのである。

 「森と湖のまつり」は、難産の末に生まれた作品のようだ。
 最後まで読んでみよう。