TomyDaddyのブログ

毎日の健康管理の記録、新聞、雑誌、書籍等の読書について感想を書いていく。

私の「医人」たちの肖像― (127) 石井 均さんと座談会「糖尿診療のサイエンスとアート」 ~2008年12月20日(土)

(127)石井 均さんと座談会「糖尿診療のサイエンスとアート」 ~2008年12月20日(土)

 

「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった。信号所に汽車が止まった。」

 川端康成の小説『雪国』の冒頭である。余りにも有名なので誰しもが一度は聞いたことがあるだろう。「国境」を「こっきょう」と読むのか、「くにざかい」と読むのか、異論があるように聞いたことがある。群馬県から新潟県に抜けるところだから、「くにざかい」と読むほうが適切かもしれない。川端康成は、越後湯沢の温泉宿「高半」に泊まって、後世に残った小説『雪国』を執筆した。
■高半で編集会議■
●2008年12月20日(土):

 2008年12月20日(土)。「高半」に泊まって、当時管轄していた雑誌「糖尿病診療マスター」の編集会議を、同雑誌の創刊5周年記念を兼ねて行った。「高半」での開催は、編集委員の一人であった石井 均先生のたっての希望を叶えたのだった。「高半」は、越後湯沢の有名な温泉旅館であり、上述のように『雪国』の舞台として知られていた。かつ、「高半」の先代主人が、旧制新潟高校で私の義父TTの友人という縁があった。そこで私も期待をもって出かけていった。
■座談会:糖尿病診療のサイエンスとアート■
 当日は、通例の編集会議の他に、雑誌創刊時の編集委員による座談会を開催した。出席者は、石井均(天理よろず相談所病院内分泌科、所属は当時)、内潟安子(東京女子医大糖尿病センター、所属は当時)、吉岡成人(北海大学第二内科、所属は当時)の三者だった。
 この掲載号に、概略次のような冒頭のリードを書いた。
 「弊誌『糖尿病診療マスター』は単独の診療科名を冠した雑誌としては、医学書院では初めてのものとして2003年に創刊した。その背景には飽食の時代といわれ国民の生活様式の欧米化が進む中で生活習慣病の一つとされる糖尿病とその予備群の増大がある。折しも糖尿病治療に関して幾つかの記念碑的な大規模試験が、糖尿病を厳格にコントロールすることで重篤な合併症が予防できることを明らかにした。それは糖尿病と一緒に生きる視点への気付きとも言える。その意味で本誌の創刊は糖尿病診療の転換期への先駆けであったのかもしれない。本号(第7巻2号)では,特集「糖尿病診療のアート―名人からコツを学ぶ」の巻頭を飾る鼎談として、「糖尿病診療のサイエンスとアート」のテーマで、創刊時からの編集委員である石井均、内潟安子、𠮷岡成人の三氏に,それぞれの心の内なる“糖尿病のサイエンスとアート”を心いくまでお話しいただいた。」
 収録した座談会は、翌年2009年3月発行の雑誌「糖尿病診療マスター」(第7巻2号)の巻頭に、「糖尿病診療のサイエンスとアート」のタイトルで掲載した。皮肉なことに雑誌『糖尿病診療マスター』の編集出版に関与していた私自身が、その頃から糖尿病を患っていた。私は文字通り「病を引き受けられない患者」の一人だった。
(2021.2.1)

(私の「医人」たちの肖像―〔127〕石井 均さんと「糖尿診療のサイエンスとアート」~2008年12月20日