TomyDaddyのブログ

毎日の健康管理の記録、新聞、雑誌、書籍等の読書について感想を書いていく。

記憶と記録の違いについて―記憶は作られる?

 年寄の記憶は作られる。「こうなって欲しかった」という体験しえなかったことがいつの間にか実体験として記憶に残ることがある。だから、記憶に加えて「記録」が役に立つ。最近、おもしろいことがあった。二つともこのブログに書いた。

 一つは、養蚕にかんして、「ずう上げ」という言葉があるということだ。私の記憶は確かだった。何でこの言葉を覚えているのだろう。私のFBに載せた「ずう上げ」という言葉を、同じ故郷の同級生はしらないという。多分、彼の家では養蚕をやっていなかったのだろう。

 二つ目は、精神科医北山修さんとの、最初の出会いが2009年であり、その後で北山修さんと石井均さんとの対談を行ったと思っていた。ところが、日録が出てきたので2009年を参照した。次のような記録があった。

(1)2009年5月10日(日)、のぞみ19号、新横浜9時29分発で新神戸に11時58分に着いた。多分、糖尿病医療学に関連した事例の研究会だった。石井均先生が主催し、糖尿病医療に従事している医師や看護師さんが参加した。北山修さんも参加されていた。今田、小池、富永の三人で取材した。事後、18時22分発で帰路につき20時54分に新横浜に戻ってきた。

 そのあと、私の記憶の中に、何かの学会か研究会のような会合が新宿の京王プラザホテルであり、その会場で北山修さんに邂逅して、「神戸でお世話になりましたI書院の富永ですと挨拶をした」のだが、「ええ、誰だこれは?」という反応であったという記憶である。この、記憶が正しいことが記録を参照してわかった。

(2)2009年10月12日(月)、新宿京王プラザホテルに、午後13時から16時まで滞在した。この日に、精神科医で「甘えの構造の著者」として有名な土居健郎さんを「偲ぶ会」が開かれていた。この会合に私は、社の代表として招かれて出席していたのだった。土居さんは講演を何回か拝聴したことがあった。微かな記憶であるが、何かの雑誌(「病院」あるいは「JIM(総合診療)」)で、問診についてのインタビュー気企画に出席したような気がする。土居さんは、2009年の3月頃に逝去されている。(後で、調べる)土居さんも精神科医として精神分析を行っていた。同じ領域の大先輩を「偲ぶ会」なので、北本修さんも出席されていたのだ。

(3)北本修さんと石井均さんの対談収録は、2007年であった。「またお目にかかりましょう」と、対談が結ばれていた。これを踏まえて、石井さんが「糖尿病医療学研究会」に北山さんをお招きしたのであろう。

 本日は、記憶の曖昧さと記録の重要性に触れた。ただ、つくられる記憶も悪くは無いと思う。