TomyDaddyのブログ

毎日の健康管理の記録、新聞、雑誌、書籍等の読書について感想を書いていく。

『さようなら、ギャングたち』を読んで-なるほどそういうことか面白い

   高橋源一郎さんの『さようなら、ギャングたち』を読み終えた。「何なんだろうね、これは」というのが感想である。文章はリズミカルであり読んでしまったのだが、わからんね。エピローグのあとに、「引用・援用文献」として、アリストテレス寺山修司小熊秀雄谷川俊太郎鈴木志郎康大島弓子、ページルネ・ユイグ、リルケの名前とどこから引いたかが明示されている。つまり、高橋さんのこの小説(らしきもの)は、「豊富な読書遍歴に裏打ちされた言葉の実験」のようなものらしい。
 正直なところ、巻末に加藤典洋さんが「それって、どういう意味なんだい?」という、解説を書いてくれているのを読まないうちは、お手上げ状態だった。

 そもそも、この作品は、1981年4月、群像新人文学賞の応募作品「すばらしい日本の戦争」が、予選を通過し最終選考に残ったが受賞しなかった。選考委員の中で瀬戸内寂聴さんだけが、「物哀しいリリシズムを感じた」と、強く推した。選からもれた直後に、担当した編集者が。群像新人長編小説賞に応募したらどうか、とすすめた。このような経緯で書きあげられたのが「さようなら、ギャングたち」だ。これが、第4回群像新人長編小説賞の優秀作になった。選考委員は、秋山駿、大庭みな子、黒井千次、佐佐木基一の四人だった。秋山、大庭、黒井の三人が、「従来の長編小説の枠から軽やかに抜け出し、飄々として自由の歌をうたっている」と評価した。しかし佐々木が、「部分的に光るイメージがあるものの、これが長編小説と云えるだろうか」と反論して受賞せず優秀作品に止まった。
 このとき作者の高橋さんは21歳から続けてきた横浜近辺での工員、肉体日雇い労働者の生活の10年目であった。翌1982年(昭和57年)、高橋さんが32歳のときに、『さようなら、ギャングたち』は吉本隆明さんによって絶賛された。高橋さんは吉本隆明によって見いだされ、加藤典洋によって支持されて、世に出たのだ。

 高橋さんはポストモダン文学の旗手なんだ。あの村上春樹の「風の歌を聴け」もポストモダン文学なんだという。「人間とはなにか」「人生の目的は」「神はいるのか」というようなドストエフスキーの好んだテーマはどうでもいいのだ。こういう分野の文学があるんだということを、74歳にして初めて私は知った。著者の高橋さんももう70歳なんだけど・・・。長生きすると面白いものが読める。