TomyDaddyのブログ

毎日の健康管理の記録、新聞、雑誌、書籍等の読書について感想を書いていく。

朝日歌壇を今日も読んだ

 本日の朝日歌壇の「短歌時評」では、歌人の松村正直さんが「日常生活と社会」というテーマで書いていた。冒頭にこうある。
 <短歌には社会詠と呼ばれるカテゴリーがあり、雑誌で特集が組まれたり議論になったりする。そこでは、政権批判や沖縄の基地問題、海外のテロ事件などを詠んだ作品が取り上げられることが多いが、そうした歌だけが社会詠ではない。>
 このあとで、松村さんは、次の歌を引いている。
 <「日本出身横綱」などと造語され国を負はさる稀勢の里はも」(池田はるみ『亀さんゐない』>
 松村さんの解説はこうだ。
 <「日本人横綱」でない点に注意が必要である。外国人だけでなく、日本国籍を取得した力士も排除した言い方なのだ。>

 こういう社会詠というものの解釈はずいぶん深いものだと知った。毎週のように、朝日歌壇を読んでいると、世相を詠むもの(つまり社会詠)が多いが、じっくりと中身を読み込むことが新しい読み方になると知った。その目で、本日も読んでみる。

<脚に来て鼻にも止まる蝶のあり優しく逃がすテニスのなおみ(高松市 村川 昇)>⇒ 高野公彦選: コメント: この歌の風景は、私もテレビで見た。全豪オープンのときだったろう。大阪なおみさんは、人種差別にも抗議して戦っていた。「日本人離れした」プレイヤーだと書くと、これも問題がでてくるだろう。

<ああ息子の力知りたり立てぬわれを背後より抱えさりげなく起こす(和泉市 長尾幹也)>⇒ 永田和宏選:コメント: この歌を詠む父親の心境は如何ばかりか?ほんとうは淋しいのだろう。この歌を詠むことで救われているのだと思う。

亡き父をつまぜかせしは酒なりきその酒をわれ今日も呑むなり(多治見市  野田孝夫)>⇒ 馬場あき子選: コメント: 野田さんの歌は実に身につまされる歌である。酒飲みは「わかっているけれど止められないである。」

<真夜中の地震に妻は湯船より人魚のごとく飛び出して来る(仙台市 小野寺健二)>⇒ 佐佐木幸綱 選: コメント: 新鮮な歌に感ずる。佐佐木幸綱さんが、連載中の朝日のコラム記事で、「500首を詠むと漸く短歌の仕組みがわかり、千首詠むと『歌の神様が舞いおりてくる』と言っていた。小野寺さんの歌は、「歌の神様が詠ませてくれた」歌ではないだろうか。地震は恐いが、風呂から跳びだす妻が人魚のようだなんて。

<発音でわかってほしいこの場合あほやなぁとは好きということ(奈良市 山添聖子)> ⇒ 高野公彦さんんと永田和宏さんの共選だ。関西弁のイントネーションは難しい。関東人が関西に転勤に「なっても、生半可な関西弁を使うと思わぬ失敗をすると聞いたことがある。言葉は難しい証だろう。

<大学へ行くのは今日が最後の日四季があざやかだったキャンパス(富山市 松田梨子)>⇒ 馬場あき子さんと佐佐木幸綱さんの共選作品だ。松田梨子さんは、多分、小学生のころから歌を寄せて入選している方だと思う。キャンパスは大学だろうから、もう成人したのだろう、何でもない日常を詠んでいるのだが、上手いと思う。

 以上をみると、今週の歌は、社会詠というより、個人詠が多かったと思う。今日の私の秀歌は、野田さんの以下の歌にした。

 亡き父をつまぜかせしは酒なりきその酒をわれ今日も呑むなり(多治見市  野田孝夫)