TomyDaddyのブログ

毎日の健康管理の記録、新聞、雑誌、書籍等の読書について感想を書いていく。

「朝日歌壇」を読む 

 『方丈記』を再読した。鴨長明(ながあきら)は、健保四年(順徳天皇、1216年)閏6月4日に没したとされる。父祖は世々、鴨神社(下鴨神社)の神官で、父は長継、兄は長守と言い、若い頃に兄に死別した。年少から音楽(琵琶)を好み、和歌を詠じた。
 そうか、長明も和歌の素養があったのだ。「方丈記」はかなりの歌の素養に裏つけられているのだ。長明は歌論書「無名抄」もあらわしている。和歌の歴史は、長明よりも長く万葉集があるのだから驚いてしまう。日の元の文芸は永いのだ。というところで、今週の「朝日歌壇」を読んだ。

この十年孫二人増え義母が逝き区切りなどなく暮らしは続く福島市 遠藤和子)>⇒高野公彦選: 「一首目は「三。一一」からの十年の正直な感想だが、下句の意味するものは重い。」と高野さんはコメントしている。これも社会詠だが個人お思いが重い。たんたんと私の十年を語っているのだが短歌に詠むことが非凡なのだろう。

<「文春」に怯える与党も「文春」に頼る野党も我ら選びぬ(観音寺市 篠原俊則>

暴言は病気が言わせているのならそれも含めて病気は悲しい(東京都 上田結香)>
イプセンのノラにもなれ百閒のノらにもなれず今日の残照(川崎市 しんどう 葵)>⇒ 永田和宏選: 「篠原さん、週刊誌に振り回される与野党を「我ら選びぬ」。そこに、自己を含めた批判がある。」と永田さんがコメントしている。永田さんの選ぶ歌から三首に感心した。上田さん、しんどうさんの歌は個人詠だがよく心情がわかる。

ノーベル賞に浮かれていたが脆弱な国だと知った医療も医学も(横浜市 森秀人)>⇒馬場あき子選: 森さん、気持ちはわかるけれど、日本の医療も医学もワクチン開発が遅れたからといって、そんなに脆弱ではないと思いますよ。馬場さんが選んだけれど、それは素直な歌い方に惹かれたのでしょう。

<月一度「給料」とある入金はこれが最後と記帳して気づく(東京都 上野智子)>
文字踏むなご飯残すなそれのみを躾とし母に絵本を贈る中津市 瀬口美子)>
佐佐木幸綱選: 上野さんも勤め人だったのですね。一月働いて、給料を振り込まれるのは嬉しいことでした。私もサラリーマンを四十年やりました。瀬口さん、「文字踏むな」というお母様の躾はほんものです。私も本棚はない、ぼろぼろの国語辞典が一冊しかない家に育ちました。ただ、「新聞を踏んではいけない」、つまり「文字を踏んではいけない」と親に言われて育ちました。高等小学校しかでてない親でしたが「活字」への畏敬の心を教えてくれました。

<へこんでる姉を元気にするためにトマトソースで書くドラエモン(富山市 松田わこ)⇒高野公彦、永田和宏、馬場あき子さんの三選。富山県の松田わこ、松田莉子さん姉妹の妹さんかな。毎週のように選ばれている。上手い歌なんだけど、だから何。チョット爺さんはうますぎる歌が嫌になってきた。

<弟の「のらねこノート」があるらしい色々入った引き出しの奥(奈良市 山添 葵)>⇒
 高野公彦、永田和宏、馬場あき子さんの三選。 これも奈良市の山添兄弟の兄の歌か?

<大好きな六年生のはっちゃんのそつぎょうしきにいきたかったな(ならし やまぞえそうすけ)>⇒ 高野公彦、馬場あき子さんの共選:これも奈良市のやまぞえさんだ。小学生だろうか。上手すぎる。でも、これを何回も選ばなくてもいいのではないか。

 以上を読んで、本日は、上田結香さんの下記の歌を選んだ。

 「暴言は病気が言わせているのならそれも含めて病気は悲しい」

 高次脳機能障害という病がある。普通は言ってはいけない言葉を言ってしまうとしたら、それはそれで悲しい。