TomyDaddyのブログ

毎日の健康管理の記録、新聞、雑誌、書籍等の読書について感想を書いていく。

吉村 昭 「暁の旅人」 を読んだ

 「暁の旅人」は、のちに順天堂大学となた順天堂の礎を築いた松本良順の波瀾万丈の物語である。良順は大蘭方医の佐藤泰然の次男に生まれた。良順は幕府の奥医師である松本良甫の婿養子となり娘登喜を妻とした。時代は、安政から江戸が瓦解して明治に雪崩れ込んでいくころである。良順は長崎に行き蘭方医のポンペに医学を学ぶ。良順は、4年を超える歳月をポンぺのもとで医術修行に明け暮れた。
 一方、下総の国小見川藩主の侍医山口甫仙の次男として、文政十年(1827)に生まれた、山口尚中はは、佐藤泰然の門に入り医の道を学ぶ。後に、泰然の信認を得て、27歳で泰然の養子になり佐藤尚中となる。つまり、尚中は良順の義兄となったのだ。次男を奥医師の養子にだし、また他の医師の息子を養子にして跡を継がせる。医師の系譜を保つための知恵ある選択のようだ。
 紆余曲折がり、江戸末期から明治に移る中で、幕府の援助をうけて長崎のポンぺに学んだ良順は、新選組近藤勇、土方ら、そして函館戦争で新政府軍との戦った榎本武揚とも親交のあった良順は囚われの身となる。明治三年になり良順は釈放される。その数年の後に、良順は早稲田に西洋式の病院をつくる。時はくだって、明治23年(1890年)、順(良順から順に改名した)は五十九歳となり、貴族院議員に推された。翌翌年には東京を離れて大磯の別荘に移り住んだ。一方、順の父の佐藤泰然の養子の佐藤尚中が興した私立順天堂医院の医務には、佐藤尚中の養嗣子の佐藤進が軍医総監を辞して、順天堂病院長になった。明治40年(1907年)、進に見守られて順は息をひきとった。76歳であった。

 後半はの話は急ぎ足にしたが、この本は佐藤泰然の次男として生まれ、松本良順として医師の修行を積んで幕末から明治を生き抜いた良順を軸としながら、順天堂病院の創立の初期に遡る医の系譜の物語である。

作者の吉村昭さんのあとがきにこうある。
<昭和四十六年夏に、「日本医家伝」という連載短編集を出版した。江戸時代中期から明治初年まで生きた、医学史に残る医家十二名について書いた短編集で、その一人に松本良順も採り上げた。良順は幕府の医官奥医師で、戊辰戦役で圧勝し江戸に進撃した朝廷軍からのがれ、奥羽に走る。そのように幕府に殉じようとした奥医師は良順のみで、その真率さに人間的な魅力を感じるとともに、長崎でオランダ医官ポンぺについて実証的な西洋医学を、日本人として初めて身に着けた人物に注目したのである。>

 「日本医科伝」は文庫本を持っている。再読してみよう。