TomyDaddyのブログ

毎日の健康管理の記録、新聞、雑誌、書籍等の読書について感想を書いていく。

『永遠のドストエフスキー』のコラム「ドストエフスキーとチェーホフ」を読んだ

 『永遠のドストエフスキーー病という才能』を読み継いでいる。2004年に中公新書の一冊として刊行されたこの本は、もしかしたら中村健之介さんのドストエフスキーに関する最後の本かもしれない。というのは、これ以降に中村さんは新たな本を出していない。
 さて、まだ途中なのだが、「あとがき」を先に読んだら面白かった。
中央公論社の平林孝氏とはじめて話をしたのは、もう二十年も前、新宿百人町の酒亭「くろがね」だった。>という件がある。
 平林さんは、中央公論の編集長を務めたかたで、若い日に三島由紀夫の作った「盾の会」のメンバーだったことがあるらしい。結構若くして亡くなってしまった。中公の平林さんの後輩の編集者の吉田大作さんが、中村さんに継続して働きかけていて、1990年代の後半からニコライの日記の翻訳等で、ドストエフスキーから離れていた中村さんに上記の本を書くに至らしめたようだ。こう書いてあった。<ニコライを追いかけてついドストエフスキーから離れる私を、吉田君はなんども電話で呼び戻し、ときには平林さんに似たストレートな助言で私を後押ししてくれた。また、本文のあちこちに「コラム」を挿入して話の枝を広げるという妙案も示唆してくれた。>
 なるほど、件の中公新書は多様な構造をした本である。第一章〜第五章に至る、各章の最後に囲みのコラム記事が挿入してある。このコラムが本論文とは別に味わいがある。
 今回は、第2章のコラム「ドストエフスキーチェーホフ」に触れたい。中村さんがこう書いている。
<私は長い間ロシア語を教えてきて、チェーホフ(1860~1904年)の作品からたくさんの購読の教材を作った。・・・・教材としてはやはりチェーホフがいい。ところが五十五歳を過ぎたころから若者を相手にチェーホフの作品を読むことができなくなった。チェーホフの作品の底に何か得体のしえない敵意のようなものも感じるようになったからである。>
 実に興味深いチェーホフの捉え方なのである。チェーホフを若者と読んでも、ロシア語の勉強にはなるが、若者を鼓舞することにはならない、やりきれなさがあるのだという。最近、チェーホフの「三人姉妹」を民藝(かな)で観て、それから、原本も対訳で読んだのだが、名がセリフの続くこの有名な「三人姉妹」は何故か退屈だったのを想い起した。
 ところで、冒頭で中村さんが触れたロシア語教材の一つ『自習ロシアア語問題集(白水社)』(1982年刊)を私は持っている。再読してみたい。