「世の中には二種類の人間がいる。『カラマーゾフの兄弟』を読破したことのある人と、読破したことのない人だ。」
こう書いたのは、作家の村上春樹さんだという。村上春樹も、車谷長吉さんも、小島信夫さんも、カラマーゾフを読破したひとだ。遠藤周作さんはにの方を好んで読んでいたのかもしれない。
先日(12月8日)の朝日新聞の「天声人語」に興味深い件があった。
<借りては賭け、賭けては負ける。負けが込むとまた借りる。今年が生誕200年にあたる文豪ドストエフスキーは、幾度もギャンブルと借金で身を滅ぼしそうになった。>
ギャンブルが好きだったのが、作家の浅田哲也も、その弟子筋の伊集院静さんも同じだろう。私はギャンブルといえば、50年前にパチンコをやったくらいだ。競馬も競輪もやったことがない。基本的には、労働運動に従事しながら「競馬もやる」やつは信用してこなかった。小心者なのだ。
<「実は借金が執筆の原動力になっていた面があります」と話すのはロシア文学者の望月哲男・北大名誉教授(70歳)。ルーレット賭博の泥沼から抜け出せず、出版社から多額の前借をする。その重圧下で作品を仕上げたという。>
このような見方は、前からの古いドストエフスキー理解だろう。ドストエフスキーは、このブログでも先に触れたように「病という才能」に支えられて書いたという、中村健之介さんの見方のほうが当たっていると思う。ギャンブルも「病」と捉えれば、これも才能だった。
この「天声人語」さんはこう結んでいる。
<この冬休み、まだ手にとったことのない長編に挑んでみようか。『白痴』『悪霊』、そして実体験を描いたとおぼしき『賭博者』。いったいどんな自己弁護を繰り広げているのか、興味が尽きない。>
ドストエフスキーの好きな人が多いのだな。『まずしき人々』を読み終えよう。