TomyDaddyのブログ

毎日の健康管理の記録、新聞、雑誌、書籍等の読書について感想を書いていく。

対談「在宅で死ぬということ、その理念を未来に継いでいくこと」(山崎章郎、佐々木淳)を読んで思うこと

「在宅で死ぬということ、その理念を未来に継いでいくこと」という、山崎章郎さんと佐々木淳さんの対談が、医学界新聞(第3472号、2022年6月6日)に載っていた。興味深く読んだ。山崎さんは、「病院でしぬということ」を書いて、日本の医療界に一石を投じた方だ。1990年だった。山崎さんは、2005年にケアタウン・小平クリニックを開設して、とえもユニークで優れた在宅医療を展開してきた。私なんかも、小平に引っ越したいなと思ったくらいだ。この、山崎さんご自身が、ステージⅣの大腸がんとわかって小平クリニックの継承を、医療法人社団悠翔会理事長の佐々木淳氏に託すことが決まった。上記の対談は、上の経緯の背景を語っている。
「ケアタウン小平クリニックを本年㋅1日(2022年)に事業継承した悠翔会の理事長を務める佐々木淳氏との対談から、在宅医療・在宅ホスピスケアの未来に継ぐメッセージを探る」というのが、対談の趣旨だ。

 1993年に大和臨床懇話会を取材した折に、ホスピス医の一人として講演された、山崎さんに触れた。消化器外科医から出発した(1975年千葉大卒)、1991年から聖ヨハネ会桜町病院ホスピス科部長を務め、2005年にケアタウン小平クリニックを開設して、在宅緩和ケアに尽力されてきた。そのご自身が大腸がんに罹患した。
 <実は佐々木先生と面会する2カ月ほど前(2,020年8月頃?)、深夜に急激な腹痛に襲われて緊急入院となりました。急性虫垂炎の悪化による」腹膜炎と診断され、その後の手術や療養を経るうちに24時間対応の診療に不安を感じるほどの体力の低下を自覚したのです。>

 上記のような経緯で、山崎さんはケアタウン・小平クリニックの事業継承を佐々木淳さんに委嘱したのだった。
 佐々木さんは、1988年筑波大学医学専門軍の卒業である。山崎さんより、二回り(23歳)ほども若い。佐々木さんも、初めから在宅医療の道に進んだのではなかった。
<・・・急性期医療の限界を感じていた当時の私にとって、病気が治せなくても幸せに生きる力を引き出す在宅医療は可能性に満ちたものでした。2006年からは在宅医療に本格的に取り組むことになり、勉強のために関連書を読みあさる中で巡り合ったのが『病院で死ぬということ』だった。これが山崎先生と私の、本を通じた最初の出会いです。>

 ふうん。そういう出会いも」あるのか。山崎さんは、1947年福島県生まれなので、私と全く同年代だ。今後の、推移をみていきたい。