この章も理解するのが私には難しい。
1 傾聴の意義
この項で書かれていることを理解するのも困難だ。
<言うまでもなく、「話を聞くこと」の意義を説得力をもって語るには、精神論ではなく、技法論と臨床理論が必要だ。だから、ここでは、どのように考えて話を聞けばいいのか、精神分析の視点から、傾聴の具体的な技法論とそれを支える理論を語りたい。・・・目的は、ヒステリー患者のように心を身体で形にするのではなく、心の物語を言葉で紡ぎ出すという仕事のために、ということである。それは、ほとんど「精神分析とは何か」という総論にもなる。>
北山さんは、この項目の中で、あの有名なアンドレ・ブルイエによる「シャルコー博士の臨床講義」の」絵を挿画としていれていた。フロイトが、パリのシャルコーの元に留学して帰国してから、精神分析の手法を編み出したと何処かにかいてあったのを読んだことがある。フロイトは、シャルコーの臨床講義を聞いいえ、「私の頭脳は劇場で一夜を過ごした後のように満ち足りている」と未来の妻に書き送っているんだという。
2 精神分析的視点とは
北山さんが、この章で纏めてくれたのは以下のようだ。
①無意識を認める
「無意識についての理解」が精神分析を創始させたのである。
なるほど、そういうことか。こういう件もあった。
<私たちは子どもの心を奥に閉じ込めて大人をやって、動物性を殺して人間をやっているという具合だ(この「やる」という表現に「演る」という当て字を使ってもいいだろう。>
本日は、ここまで、続く。