TomyDaddyのブログ

毎日の健康管理の記録、新聞、雑誌、書籍等の読書について感想を書いていく。

『中動態の世界ー意志と責任の考古学』から『リハビリの夜』に戻る

『暇と退屈の倫理学』(2011年)の著者・國分巧一郎さん(当時、高崎経済大学准教授)が、医学書院から『中動態世界ー意志と責任の考古学』という本を書いた(2017年)ことは知っていた。この本は、最初は雑誌『精神看護』に、2014年1月号から11月号まで掲載された「中動態の世界」が元になっているんだという。國分さんの書かれた「あとがき」にこうことが書いてあった。
 <転機は『暇と退屈の倫理学』という本を出版した後に訪れた。私はこの本を通じて多くの方々と知り合うことになったのだが、その中の一人に小児科医で研究者の熊谷晋一郎さんがいた。・・・・・・(肝腎なところを省略)・・・・その二週間後、白石さんから「ぜひ中動態について本を書いてほしい」という依頼をいただくことになった。>

 やはり、『中動態の世界ー意志と責任の考古学』の仕掛人は白石正明さんだったのだ。この本のもととななった連載が継続していた2014年は私が退職して2年目のことだった。それにしても、看護領域の一雑誌『精神看護』に載せて読者を獲得できる範囲を超えているような題材である。白井さんという編集者の力量に感服するしかない。読み始めた。

帯広告にはこうあった、
 <失われた「態」を求めて。若き哲学者は、バンヴェニストアレントに学び、デリダハイデッガー、デゥルーズを訪ね直し、細江逸記を発見し、アガペンに教えられ、そして新たなスピノザと出会う。>
 およそ、上記のよなことに言及しているらしい。

「第1章 能動と受動をめぐる諸問題」から読み始めた。
 すると、のっけから熊谷晋一郎さんの本『リハビリの夜』のからの引用ある。
 「私たちは、目を覚ましているときも内部モデルという夢の世界に住んでいる」。

 ということで、『リハビリの夜』を先に読むことにした。この本は、私の在職中(2009年)に出たので、一冊所持していた。読んでいなかった。読んでみよう。
 

 第一章 脳性麻痺とという体験
  読み始めた。読みやすい。でも、この疑問を出す。脳性麻痺に生まれた、熊谷さん、どうして東大医学部に入学でして卒業して医師国家試験に受かって小児科医になれたの?「脳死麻痺」って身体が不自由だけで、知識的には普通より優れていたんだ。この本を読み始めると、そういうことって普通の疑問ではないの?だって東大て、まして医学部には簡単には入れない。そのことの説明ってどこかで出てくるのだろうか?

 1 脳内バーチャルリアルティ
 <受胎から生後四週間以内の新生児のあいだに生じた、脳の非進行性病変に基づく、永続的な、しかい変化しうる運動および姿勢の異常である。その症状は満二歳までに発言する」(厚生省、1968年)>

 「運動および姿勢の異常である」っていくことは、知的な以上ではないだ。
<脳表面にある、大脳皮質と呼ばれる厚さ三ミリ前後の僧の頂部には、運動の計画や実行に関する諸領域が、列をなして前後に並んでいる。それらは前から順番に「補足運動野・運動前夜」「一次運動野」「前部頭頂葉」と呼ばれている。私の脳ではこのうちの「一次運d能や:」が傷んでいるらしいが、詳細は不明だ。>

 熊谷さん、医学を学んだから、こんな記述ができるんだ。ゲスな私は、脳性麻痺の熊谷さんの小学校、中学校の成績はどゆだったの?普通の受験で東大医学部に受かったの?そんなことが気になる。

 2 緊張しやすい体
 そもそも、からだの緊張とはなんだろう。それは人間の運動にとって不必要なものだろうか。からだの緊張がないときにのみ、人はスムーズに動けているのだろうか?

 このところでの問いかけがよくわかるように思う。

 「あそび」がないから外部に対応できない
 ・・・・・多くの人の身体は、私の身体に比べておそらくこの身体内供応構造が緩やかなものだから、各身体部位のあいだに拘束関係は緩く、いわば「あそび」があr8う。そして、こ「」のあそびがあるからこそ、身体外にある地面の起伏などに運動をなじませることができる。・・・>  

 熊谷さんが、この章でかたっていることはよくわかる。脳性麻痺の方の不自由のほどがわかる。実は、健常者といわれる一般のひとたちでも、過度の緊張で身体が強張っているのである。

 いま私が、修行している合気道の技の全てが、緊張からの解放の手技の稽古であると思う。簡単にいえば、身体にあそびをつけるのである。「あそび」「ゆらぎ」「あたり」「つなぎ」。合気道の技はすべからく「あそび」の修得でらる。

 

(続く)