TomyDaddyのブログ

毎日の健康管理の記録、新聞、雑誌、書籍等の読書について感想を書いていく。

「第二章 トレイナーとトレイニー」(『リハビリの夜』(熊谷晋一郎)を読み進めている—ゆるむ、体にあそびをつくる

 『リハビリの夜』(熊谷晋一郎)を読み進めている。かなり、合気道の稽古理論に役立つことが書いてある。
 <1. ほどかれるからだ>の項目にこう書いてある。
 「私が受けていたリハビリでは、リハビリする側がトレイナー、される側がトレイニーと呼ばれていた。毎回のセッションは一時間半程度で、一日にそれが三〜四回行われる。・・・・・過度な身体内協応構造のために硬くなった私の筋肉や関節を、トレイナーがストレッチのような方法でほぐす。そして、後半は、ほぐされてぐにゃぐにゃになった私の体にトレイナーが介入し、「健常」な姿勢や動きを与えようとする。」 

 「ほどかれる体」とは、ストレッチのような方法で、体をほぐす、体にあそびをつくる、ということのようだ。この方法は、合気道の稽古のやり方と全く同じである。体の遊びを阻害しているのが、わたしたちに備わっている「身体内協応構造」である。「身体内協応構造」とは何かを、もう一度、第一章に戻っておさらいをしておく。
身体内協応構造って何■
 (ちょっと長く引用する)
「・・・人は、歩いたり、走ったり、投げたりというパターン化された運動を行っているときに、個々の筋肉や関節のそれぞれに注意を張りめぐらしながら、意識的に制御しているのではない。歩いている最中に、大腿四頭筋腸腰筋のぐあいを意識しなくても、スムーズに歩くことができている。それは、多数の筋肉が各々ばらばらに意識からの指令を待っているようなトップダウン式「縦の関係」だけでなく、意識からの指令をまたずに、ある筋肉の動きが他の筋肉の動きと、緩やかなつながりを持ちながら互いに拘束しあっている「横の連携」があるということを示唆している。
 このように、たくさんある筋肉同士がある程度自発的に、互いの緊張ぐあいを拘束しあうような連携をもつことで、「歩け」などのようなたった一つの指示で、たくさんの筋肉がいっせいに協調的な動きをすることが可能になる。このような横の連携のことを、ロシアのベルンシュタインは「身体内協応構造」と呼んだ。人体に、「身体内協応構造」が備わっているおかげで、意識から見たときの、身体運動がもつ過剰な自由度は減縮され、運動制御の負荷は減ることになる。」

 「身体内協応構造」の説明をよんでいると、この説明はまさに、合気道の稽古の要では無いかと感じた。その気づきは以下の文章でさらに明確になっった。

 <この「身体内協応構造」は、意識が命令してもいないのに、勝手に体にみなぎる緊張として感じられる。そいう意味では、先ほど「体の緊張」という言葉で言い表わすそうとしたものは、より正確には「身体内協応構造」と言い換えることができるだろう。>

 上でごゴシックにした「意識が命令してもいないのに、勝手に体にみなぎる緊張」こそが、合気道における「気」がはいっているということおではないだろうか。

ほどきつつ拾いあう関係

<《ほどきつつ拾い合う関係》でトレーナーはまず、そんな(強い身体内協構造がある)私の体をほどく。ほどいた結果、私の体の中に生じたあそびというのは、自由な運動の選択幅のようなものである。>

 《ほどきつつ拾い合う関係》にもっていくことが、トレイナーとトレイニーの最も望ましい関係の構築だとわかる。第二章で、熊谷さんは自らの体験から、望ましいリハビリテーションのあり方を提示している。

 第二章には、「脳性まひリハビリテーションの戦後史」というコラムが最後に載っている。これを読むと、熊谷さんは脳性まひリハビリテーションの当事者でありと同時に優れた研究者なのだとよく分かった。「脳性まひ」というと生まれた時に脳虚血のいために、身体もぐにゃぐにゃしていて発話もおかしく知的能力も低いんだと一般に(私も)思っていた。ところがどっこい、熊谷さんの知的能力は頗る高い。御両親はどのようにしてお育てになったのであろう。この本を第二章までよんできたが素晴らしい本であると知った。それにしても、熊谷一郎さんという脳性まひの方と編集者の白石さんはどこで知り合いどのようにして、この本を作ることになったのか、またできたのかにも興味を惹かれる。
 今日は、ここまで。