TomyDaddyのブログ

毎日の健康管理の記録、新聞、雑誌、書籍等の読書について感想を書いていく。

「町田市肝臓友の会(町田肝友会)」が幕を閉じた(2023年3月31日)

町田市肝臓友の会(町田肝と友会)が、3年の活動期間を終えて終幕する。私は、2年前2021年から参加した。その前には、2016年~2021年まで、5~6年くらいの間、千葉肝友会に参加していた。千葉肝友会の活動拠点は、船橋市にあったので、直接に友の会の活動に参加したことはなかった。インターネットで、C型肝炎治療の情報を検索していたら、篠田さん(千葉肝友会に会員)が、有益な最新情報を、簡潔に紹介してくれていた。2014年頃から、篠田さんの情報にどんなに助けていただいたか計り知れない。篠田さんにお目にかかることはできなかった。篠田さんは、有益な情報発信を続けれていたが、自らは肝臓がんで2020くらいに、千葉肝友の会の幕引き直前にお亡くなりに なった。私は、千葉肝友の会からの会報で、「町田肝友会」が当時、毎年、開催していた「肝臓病講演会」に、2016、2017、2018年と3回くらい参加した。2017年10月8日(日)に開かれた「肝臓病医療講演会」で、加藤直也先生(千葉大学教授・消化器内科)の講演をお聞きして、ここで、当時の最新治療薬マヴィレットの情報を得た。マヴィレットが保険適応になる直前であった。この縁があり、私はHCVの駆除に成功したのだった。
 今回、町田肝友会の会報「かんぞう」(No.177, 2023年3月号、最終号)では、「町田肝臓友の会―閉会に寄せて」というテーマで、会員からの原稿を求めていた。私も「病気自慢ーC型肝炎ウイルスHCV)と共に生きてきた」というタイトルで一文を寄せた。
 以下、記録と記憶のために町田肝友会の概要を記録しておきたい。

■町田肝友会の歴史と活動■
創立 1986年(昭和61年8月)「町田肝炎の会と」として発足(中村剛、会長、55歳)
   発足会員 20名
1989年(昭和64、平成元年) 会報「かんぞう」第1号発行(4ページ、年回)
1990年(平成2年)4月 東京肝臓友の会発足、統一総会(東京肝臓病の会と東京肝炎の会) 中島小波会長・中村剛副会長就任
1991年(平成3年) 初 国会請願行動

1993年(平成5年)1月 多摩地区患者会 交流会(町田市健康福祉会館 60名参加)
    インターフェロン治療体験発表(野田晃弘さん)

1997年(平成9年)田市肝炎の会→名称変更、町田肝臓友の会(肝友会) 会員 203名

 
1998年(平成10年)10月 創立会長の中村剛氏が逝去(67歳)、会長職12年
   東京肝臓友の会主催(読売新聞 C型肝炎シリーズ(12回連載)
   インターフェロン治癒著効例:野田会長、無効例:鈴木監査役(掲載

<コメント>野田晃弘さん(町田肝友会現会長)yは、東急不動産の部長職(56歳)であった。インターフェロンで治療に成功したのだった。野田さんは、昭和大学藤が丘病院(消化器内科助教授・与芝貢医師)の治療を受けた。野田さんは、HCVⅡ型でインターフェロンが効きにくいタイプに感染していた。インターフェロン免疫抑制剤の併用療法を受けた。劇的に効いてHCVの排除に成功した。(野田さんの体験談が、読売新聞「健やかへのデザイン,C型肝炎②」に載っていた。「医療ルネッサンス」という記事の第289回だ。1998年、この記事を私も読んだかもしれない。私が、C型肝炎」ウイルスのキャリアと判明したのも、1998年だった。

1999年(平成11年)6月 2代目会長 野田晃弘さん就任(58歳)

(この間、毎年、様々な講演会、街頭キャンペーン等々の活動を行っている)

2011年(平成23年)3月 東京大学医科学研究所付属病院 加藤先生へ講演会依頼訪問
         6月 加藤直也先生 初講演会(98名出席)

2013年(平成25年)2月 田村憲久厚労大臣・矢島鉄也健康局長面談(日肝協)
〜2017年以降割愛〜

<コメント> 私が町田肝友会とかかわったのは、2016年以降である。多分、2016年~三年連続で、加藤直也先生の講演に参加した。加藤直也先生は、東大医科研病院(目白)消化器内科から、母千葉大の消化器内科教授に就任していた。2017年に加藤先生は千葉大教授に就任(55歳)されている。私が、2006年(平成18年)8月に東大病院でPEGインターフェロン療法を受けた折に、加藤さんは東大の小俣内科に所属されていた。そのあと、東大医科研病院(目白)の消化器内科に移られて臨床に従事されていた。

 

(ここまで、継続予定)