TomyDaddyのブログ

毎日の健康管理の記録、新聞、雑誌、書籍等の読書について感想を書いていく。

『東京拘置所 死刑囚物語―獄中20年と死刑囚の仲間たち』(澤地和夫、2006年、彩流社)を読み終えた

 著者の澤地和夫さんが起した事件のことは新聞記事で知っていた。偶然に見つけて読んだ本だが感銘深いものがあった。殺人を起こ死刑囚となった人とならなかった人の差は紙一重なんだと思う。本日は後半の2章を読んだ。
 第3章 東京拘置所の死刑囚の仲間たち(1)
 第4章 東京拘置所の死刑囚の仲間たち(2)

 一部分を引用しながら感想をかいておきたい。
 第3章では「1 死刑囚観察記」のあとで、数人の死刑囚のことを書いている。その中で「4  続射殺事件ー永山則夫の残したもの」が印象に残る。永山則夫の事件は昭和43年10月初め以降に起こった。私は昭和41年4月に北大に入学したので、その頃は札幌に住んでいた。永山は神奈川県の米軍基地内で拳銃と実弾を窃取し連続の射殺事件を起こした。東京、京都と射殺事件を起こし後、北海道に渡りタクシー運転士を射殺した。同じころ私の友人SH(当時21歳)が東京から札幌に戻って来た。連続殺人犯の容疑者と疑われ下宿に刑事がやってきたことがあった。永山則夫の件は実に身近であったのだ。不幸な身の上で育った永山と獄中で読書に勤しみ物書きになった永山のその後のことは私も読んだ『無知の涙』他に結している。
 澤地さんは死刑執行された永山についてこう書いている。

 <・・・誰に教わるのでもなく、拘置所の独房で文字通り独学で学び、あれだけの高レベルの教養、知識を身に着けたのですから、それは、ほんとに物凄いことなんです。・・・・・そう思うと、国家は、実に惜しい人間を殺したものです。残念でなりません。・・・・>

 第4章 東京拘置所の死刑囚の仲間たち(2)では、袴田巌、荒井政男(三崎事件)、益永利明(連続企業爆破事件)、最後に、自身のこと(死刑囚・澤地和夫を自ら語る)、を物語っている。袴田事件については、つい最近(2023年4月頃)、再請求が認められ、袴田巌さんは無罪を勝ち取る方向にある。既に、この本を書いた2006年の時点で、澤地さんも書いている。

 <現在(2005年12月30日)の日本の生存死刑確定者のなかええ、死刑確定順から4番目に古いのが、元プロボクサーであった袴田巌です。>
 袴田だんは、その頃から既に永い拘禁じゅおたいのために精神に異常きたしていたようである。澤地さんは、死刑囚として一緒に暮らした中で袴田さんの冤罪を感じていたようだ。最後に、こう書いている。
<・・・・死刑確定から20年以上経っても執行されていないという事実は、国もあなたを冤罪死刑囚と認めているわけです・・・・。そう確信していいのではないでしょうか。>

 この時から、さらに、17年後の現在、袴田さんの無罪が確定する方向にある。三崎事件の荒井政男さんも冤罪の要だ。

 益永(旧姓片岡)利明さんの事件は、三菱重工ビル爆破(連続企業爆破)事件の政治犯である。この事件(昭和49年8月30日)のことは、私が札幌から東京に来て4年目のことなので記憶にある。

  益永さんは、澤地さんよりも10歳若いひとだ。1985年に澤地さんが東京拘置所に入所した1985年には、益永(片岡さんは、35歳だったという。1985年というと、私が駆け出しの医学記者としてとびまわっていた時期だ。この二人の死刑囚のことを、呼び捨てに出来ず「さん」ずけで書いていきたい。澤地さんは、益永さんのことを尊敬氏しているというか高く評価している。

<益永利明のことで、私が「イの一番」に書くべきことは何か、と考えると彼こそ、法務官僚の誰よりも、日本の悪しき監獄組織・監獄行政の改革に取り組んでいる人間である、ということです。>

 益永さんは、死刑囚でありながら、在監者の人権問題について、様々な活動をおこなあっている。その一端は、『死中に活路あり 益永利明獄中資料集』として出版もされている。個人史誌『ごましお通信』という個人誌を発行している。この個人誌には、益永さんが行った、「情報公開請求」の履歴が掲載されいる。このことについて、澤地さんはこう述べている。

<東京拘置所の独房に30年以上にわたって拘禁されている一人の死刑囚が、右のような「情報公開請求」を「求めているという、前向きな人権姿勢とその知識及び能力を、多くの国民のみなさんに知ってもらいたいと思ってのことです。> 

 さて、死刑囚澤地さんの本をこれまで読んできた。最後に、「5 死刑囚・澤地和夫を自ら語る」で、澤地さんは自らを語るなかで、「今の自分は、一般社会から隔離された場所での修行をさせてもらっていると思っている感が強いのです。」と述べている。「ひと二人を殺して何を呑気なことを言っているんだ」という気もするが、ひとは変わり得るものである、獄中の中である種の人間性が高まっているひとも多いのだと思う。永山則夫さんもそうだったんだろう。
 この澤地さんはどうなったか、しらべていみたら、この本の出版された2006年の2年後の2008年に、胃がんのために獄中死されていた。69歳であった。

<コメント>
 元死刑囚澤地和夫さんの本を初めて読んだ。このほかにも、本を書いている。折をみて他の本も読んでみたい。さて、最後に益永利明さんのことに触れておきたい。益永さんは旧姓片岡利明といって、1948年(昭和23年)6月1日生まれで、わたしと同年代である。元・東アジア反日武装戦線「狼」構成員のテロリスト。1987年に3月24日に死刑判決がでた確定死刑囚。2020年現在,未執行であるから、75歳で健在である。企業爆破に関与した佐々木規夫、大道寺あや子が、日本赤軍が起した2件のテロ脅迫事件の際、日本赤軍側の要求を呑んだ日本政府の超法規的措置として出獄し、海外に於いて日本赤軍に合流後の消息が不明となっており、裁判が終了していないためとされている。姓がかわっているのは、支持者の益永あや子(あとで確認)さんの養子になったからである。

 私は、政治運動にも学生運動にも拘わらずにきたが、とくにあさま山荘事件は同世代の人間として強いシンパシーと悲しみを覚える。我らが世代の過ちであるとの感がぬぐいきれない。益永さんには、獄中で生き延びて、日本の死刑制度廃止にむけて一石を投じる思索を深めてほしいと思う。