TomyDaddyのブログ

毎日の健康管理の記録、新聞、雑誌、書籍等の読書について感想を書いていく。

眼科医院の待合室で『男の愛(町田康)』を読み終えたー生きるのに意味はいらない

 「生きるのに意味はいらない」

 76歳にして漸く分かった。若いころは生きるのに精いっぱいだった。少し余裕がでてきた定年後、いっぱしに「俺の一生は何だった」と考えたりした。それも、食うに今のところ心配ない、ぜいたくな恵まれた高齢者だからの甘えだろう。もう一度いう、生きるのに意味はいらない。生き切ることに意味がある。

 本日も暑い夏の日だ。急遽、眼科医院を受診して緑内障の薬を処方してもらうことにした。9時15分に家を出て、24分のはるひ野発で新百合ヶ丘へ行く。眼科医院には9時35分には着いた。受付を済ませたところ、予約以外のとび込みなので38番だという。12時頃になりますから、2時間くらい外出してもいいですよという。外に出て銀行の記帳でもしようとしたが、外は猛暑の夏日なので医院の待合室で読書に勤しむことにした。
 読みかけで持参した『男の愛(町田康)』を読み終えた。「街道の親分、清水次郎長の恋と生涯」という帯広告のキャッチ―フレーズだが、これは見かけ倒しであんまりおもしろくなかったね。賭博場のいざこざとはいえ二人を殺めて出奔して男を磨いたっていうんだが、余りピントこなかった。「町田版痛快コメディ」ということだから、これでいいのか?

 といいうことで、もう一つの町田さんの本『私の文学史ーなぜ俺はこんな人間になったのか?』の「第二回 夢中になった作家たちー北杜夫筒井康隆」を読み継いだ。こちらは、とても面白くピントきた。町田康さんの、原点と言うか「ことば」の出発点はここにあったのだ。「北杜夫の危険な世界」を読んだ。北杜夫さんは、ご存知、斎藤茂吉の息子(二男かな?)なんだが、医師になり作家になった。『船乗りクプクプの冒険』は私も読んで大好きだったが、町田さんのようなのめり込みができなかった。『遥かな国 遠い国』も読んだことがあったのだが、あんまり覚えていない。次に、「筒井康隆の一人語りの衝撃」の項目を読んだ。これが、面白い。筒井康隆は、変わった短篇を人だったと思う。町田さんは、こういう読み方をしていたんだ。

<・・・・・つまり、この世には文学の言葉と日常の言葉があって、それは絶対に混ざらないし、混ぜてはいけないものだと思っていたんですね。ところが、筒井康隆においては、それがもう簡単に混ざって、そこにあった。これは、途轍もない実験だなと思ったんですね。だから自分が遠い将来にやった、いろんあ言葉を混ぜることの根はやっぱり、ここにあったと思うんですね。・・・・・>

 なるほど、そういうことか。町田さんは、かなり意識的に「言葉の実験」をその頃から始めてきたんだね。その言葉への、取り組みと言うか感性は才能なのかもしれないが・・。言葉を自由に使う実験をするのは、高橋源一郎さんも同じだ。
 この本は継続して読む。今日はここまで。

今日の気になる本『類 (朝井まかて』(集英社文庫、1265円)
 「鷗外の子であることの幸福と不幸ー。宿命を背負い、自分も何者かであろうともがき続けた森類。明治から平成まで、激動の中を懸命に生き抜いた姿を描く」なんだって。第34回柴田錬三郎賞、第71回芸術選奨文部科学大臣賞受賞作品だと。面白そうだ。