TomyDaddyのブログ

毎日の健康管理の記録、新聞、雑誌、書籍等の読書について感想を書いていく。

今日も朝一クリーンから「第十二回 これからの日本文学」(『私の文学史〜なぜ俺はこんな人間になったのか?』(町田康)を読んだ

 今日も朝一クリーンからスタートした。朝食の前に階段のペーパー拭きと掃除機かけをした。食後に片ずけのあとでトイレ掃除、風呂場の床洗いと洗面所を洗った。夏場はシャワーで済ませ浴槽には入らないのだが風呂場の床のタイル目地が黴で黒くなってくくる。トイレ掃除の前にカビ取り剤をスプレーしておく。10分くらいしてから使い古しの歯ブラシで目地をこすり洗い流す。これで風呂場の床は白くきれいになった。
 一日一クリーンは朝の心の垢落としとなる。

 さて、本日も『私の文学史〜なぜ俺はこんな人間になったのか?』(町田康)を読み継いだ。最終章「第十二回 これからの日本文学」を読み終えたので感想を書いてておきたい。

 「文学は実学である」(詩人の荒川洋治さん曰く)ということと同じことを言っている。実学としての土木工学が橋梁をかける実学であるとするなら文学(すなわち言葉の学)は魂に橋を架ける実学なのである。そのことに私たちは気が付いていない。

 「文学の言葉のなかに生き延びたい」の項目の中で町田さんが言う。

 <・・・・・・・・・自分という人間は、文学の言葉の中でに生き延びたい。逆に、自分が文学ということの中に生き延びたいと思いというか、考えがあるんですね。
 それに対しての理由というのを考えるんです。・・・・なんで自分は文学の言葉の中に、自分という人間は生き延びたいと思うか。なんで、言葉の中に生き延びたいのか。自分の言葉に魂を込めたいのか。それを言いたいのか、書きたいのかということですが、そういうことを話そうかと思います。>

 町田さんのこの本は講演をもとにしてるので、くどくどしているが言ってることは分かる。後はは、「魂の形を自らの言葉で塗る」に続いている。

 <・・・・魂自体は形がないから、その外側を、なんか、樹脂みたいなもので塗り固めて乾かすことによって、形を与えて、それを見たいんです。自分でもみたいし、人にも見せたい。その外側に塗り固める材料というのが言葉やと思うんです。・・・・>

 町田さんは、その次に、「脳のバリアを自分の言葉で突破する」ということを話している。「魂の形を自らの言葉で塗る」が外側とすると、こんどは内側で、「魂」の中身、「自分は何を考えているのかなと(自分で自分を)探っていくじゃないですか。町田さんは、この具体例として、『おらおらでひとりいぐも』(若竹千佐子)、と『土の記』(高村薫)とう二つの小説を上げている。これらの小説では、<言葉をドリルとして、自分の脳のバリアを突破していく。それによって「自分が何を考えているかわかる。」=「人間が何を考えているかわか」。一般的に人が何を考えているかわかるようになる。そうすると、人を許したり、愛したりすることもできるし、その逆もできる。でも、それをしないかぎり、何もできない。こういう気持ちがあります。>

 ここまできて、<「バリアを強化すること(一番目)、バリアを突破していく(二番目)の二つをバランスよくやることで、何ができるか。(この二つをやることで)、「この世の熱狂から離脱すること、この世にいながら、あの世に片足を置きながら、この世の熱狂から離脱することができる。

 町田さんの、結論は「この瞬間を全力で生きるために文学はある」んだって。だいたいの言っていることはできる。日本の伝統的な文学の一つである、「短歌」や「俳句」魅力的なのは、それによって「この瞬間を全力で生きる」ことができるからなんだ。