TomyDaddyのブログ

毎日の健康管理の記録、新聞、雑誌、書籍等の読書について感想を書いていく。

 ときには「ぼうっとしたほうがいいのでは」と思った日に ~朝日俳壇と朝日歌壇を読む

 

 昨日は合気道の土曜日稽古の日であった。同伴者Yのパソコン設定のために1時間ほど遅れて参加した。本日は片手取りの各種技の稽古をした。今日も下実上虚を念じながら稽古した。最近は水曜日の夜(18時30分~20時)の参加者が少ない。仲間のIさん(73歳くらい)に稽古への参加を促したところ21時に就寝するので無理だという。「そんなに早く寝ておきるのは何時?」と尋ねたところ「朝4時に起きる」という。「そんなに早く起きて何をしてるん?」と聞いたところ「ぼーっとしている」んだと言う。話半分と聞いてもその手があったかと知った。「年寄りは何もしないで一日中ぼーっとしていることが多い」と聞いたことがある。「ああそうか、ぼおっとしているのもありなんだ」と妙に納得がいった。私のように「ぼおっとせずに、いつも本を読みブログを書いているの如何なものか」と思った次第だ。
 実は「ぼおっとしているようで何もしない時間は大切なんじゃないか」と思う。獄中でなにもしなくて一人ぼーっとして自分の内面を見つめていると人は哲学者になったり文学者になったりするのではないか?永山則夫さんもそうだったのかもしれない。いや読書の時間があったんだ。

 さて、「ぼおっと」のすすめのあとで、今日も、朝日歌壇と俳壇を読んだ。その前に、にしい洋子さん(「俳句四季」発行人)が、「うたをよむ 金子兜太と齋藤慎爾」というコラムを書いていたのを読んだ。

<俳句は「世界一短い文学」として世界に多くの作家がいる。わたしたちの月刊「俳句四季」は写真や絵をふんだんにつかって美しく、悪口言わない、生命感を大切に、地方の優れた俳人も紹介したいと思いから、1984年に創刊した。もう四十年が経とうとしている。創刊号の選者は原裕(ゆたか)、波多野爽波(そうは)、細見綾子のお三方に引き受けていただいた。>
 だって。

 冒頭で「俳句四季」の創刊にふれてから、にしいさんが「忘れ得ぬ二人の俳人」として金子兜太さんと齋藤慎爾さんを紹介している。

<流行という服を身に着けさせるのがファッションデザイナーなら、俳句的思考(五七五)で、現代の出来事を「最短詩型」で表現するのが俳人。私には忘れ得ぬ二人の俳人がいる。>

 <彎曲し火傷(かしょう)し爆心地のマラソン>は、長崎で金子兜太が詠んだ句。

<梟や闇のはじめは白に似て(慎爾)>
 齋藤さんは、深夜叢書の社主だっと人だという。

 にしいさんがこう書いていたのが腑に落ちた。毎日の散歩で気になる風景を写真におさめ、それを俳句にできないだろうか?

 ということで、まず俳壇から読む。

 <鬼やんまわが持たぬものすべてもつ(佐渡市 千 草子)>⇒高山れおな撰:

「中七下五の痛快な断言が描き出す鬼やんまの威風堂々ぶり。」と高山さんがコメント。最近、鬼やんま(トンボ)をあまり見かけない。たしかに、夏空のした樫の木の傍らを往来しつつ颯爽と飛んでいたのだった。

 <落とし物探す夜道にみみず鳴く(川崎市 小関新)>⇒大串章撰:
 みみずって鳴くのかな?知らないな。

 次に、朝日歌壇に移る。

 <エアコンの設定温度を一℃上げ一人に戻る九月一日(奈良市 山添聖子)>
<マンモスの牙守り来しシベリアの凍土溶けだし盗掘進む(観音寺市 篠原俊則)>
 ⇒上記は、高野公彦撰: 常連のお二人の歌だね。

 <帰りたいといつも言っている入所者が家族の前では何も言わない(川崎市 川上美紀)>⇒永田和宏撰: この歌の気持ちはよくわかる。義母はいつも家族に「帰りたい」と言っていた。それが本当は悲しみなのだが、自宅での介護ができなかった。

 <友と行くニューオープンのカフェテリア意外な上司が教えてくれた(富山市 松田梨子)>馬場あき子撰:
 また、梨子さんが入選でした。

 <ガソリン車なきツェルマットを行く馬車よ青天を衝くマッターホルン(東京都 椿 泰文)>⇒佐佐木幸綱撰:
 この歌はよくわかる。ツェルマットに行ったのは20年前に行った最初のヨーロッパスイスへの旅だった。