『私家版・ユダヤ文化論(内田樹)』)を読み始めた。かなり手強い本に思える。今年になって「ハザール」(城田俊著)の校正を手伝う中で「ユダヤ教」「ユダヤ人」のことを知りたいと思っていた。「ユダヤ教」の研究と言えばと内田樹さんの本のことが思い浮かんだ。読み始めた。どうも「ユダヤ人」とはなにものかという定義すらないようだ。随分前(40年も前か)イザヤ・ベンダサンというひと(山本七平なんだって)が「日本人とユダヤ人」という本を書いて一世を風靡していた。読んだかもしれないが記憶にない。それはさておき内田さんはこう書く。
<・・ユダヤ人と言うのは中立的・指示的な名称ではない。だから、当然にも一義的な定義が存在しない。「ユダヤ人は・・・・」という文章を書いてしまった人は、そのときすでにその人の主観的な「ユダヤ人論」を語っているのである。私がこの論考に「私家版」という限定を付したのはだからその意味では屋上屋を重ねる類の冗語表現に他ならない。>
どうもわからないな。何処かの本で「ユダヤ人の母親から生まれた子とどもはユダヤ人である」とか言っていたような気がする。アインシュタイン、ルビンシュタイン等々、「何とかシュタイン」という名前は、ユダヤ人でるとか聞いたこともある。
<では、私(内田さん)自身の暫定的なユダヤ人定義からこの論考を始めるこおtにしよう。
語義を定義することがむずかしい語の意味の境界線を確定するために一つだけ有効な方法がある。それは、「ユダヤ人は何でないのか」という消去法である。これが私が読者の間に立てることのできる、さしあたり唯一の「共通の基盤」である。>
さらに読み進めるとこう書いていある。
第一に、ユダヤ人というのは国民命ではない。
第二に、ユダヤ人は人種ではない。
第三に、ユダヤ人はユダヤ教徒のことではない。
(手強い本なので今日はここまで)