この「終章」はこういう文章で終わっている。
「私たちがユダヤ人について語る言葉から学ぶのは、語り手がどこで絶句し、どこで理路が破たんし、どこで彼がユダヤ人についてそれ以上語るのを断念するか、ほとんどそれだけなのである。」
城田俊著『ハザールー幻の騎馬民族国家』(水声社、近刊)の校正を手伝ったことからユダヤ教、ユダヤ人について興味を抱いて、この本を読み始めたのだが、読みこなすことができなかった。理解できない。「ユダヤ人とは何者か」は一筋縄ではわからない。理解できないのがユダヤ人であるということが分かった。
「終章」の項目建ては以下のようだ。
1「わけのわからない話」
2「未来学者の描く不思議な未来」
3「過剰な」ユダヤ人
4 最後の問い
5 サルトルの冒険
6 殺意と自責
7 結語
8 ある出会い
最後に、「新書版のためのあとがき」というのを読んだ。ここでこの本の成立は神戸女学院大学における講義から出発したんだと知った。それと内田さんはユダヤ人のエマニュエル・レヴィナスの研究者でこの講義のときには20年以上もレヴィナスを研究してきた人なんだ。この本の初版は2006年に出ている。医学書院から出した『死と身体』(例の白石さんがケアシリーズの一つに入れた)は2004年頃に出た本だろうか?当時は内田さんまだ本を出し始めた頃だった。『私家版・ユダヤ文化論』は恐ろしく熱の入った難しい書きっぷりとしった。 もう少したってから、もう一度読んでみたい。(今回はギブアップ)
<付記> 本日はまたもや大失敗をした。りそな銀行で合気道の経費をカードで下ろした。2200円とい152円である。封筒に入れて利用したATMの横に忘れてきてしまった。丁度、通帳が終了したので新通帳発行のために入口の別のATMに移動した。その時にカードを降ろした金の入った封筒を忘れたのだ。カードがないのに気がついて振り返っって「カードが残っていませんでした?」と尋ねた。男性が、「ない」と言って次に「これですか?」とカードを渡してくれた。右隣のATMであった。その時には封筒も忘れたことに気が付かなかった。そのあとで横浜銀行にもいって後期高齢者引き落とし口座開設の書類を貰ってきた。手に持って銀行の外にでたら突風が吹いてきて用紙が吹き飛ばされしまった。そおれを追いかけて転んでしまい眼鏡がとんだ。膝をケガをした。「残心不足」「下実上虚」を忘れていた。危険は何処にも潜んでいる。記憶と記録のために書いた。