ゴルバチョフと言えば「グラスノスチ(情報公開)」だろう。ゴルバチョフさんが亡くなったのは昨年(2022年8月30日)だった。この訃報を知らせる朝日新聞朝刊(2022年9月1日)が保存してあった。同じ日の1面には、
<「国葬 首相が国会説明へーー旧統一教会問題「総裁としておわび」>
という大きな記事が載っていた。
本日は古い新聞を読み返しゴルバチョフさんのことを記録しておきたい。
<旧ソビエト連邦最後の最高指導者で、東西冷戦を終結に導いたミハイル・ゴルバチョフ元ソ連大統領が30日、死去した。91歳だった。入院先のモスクワの病院が明らかにした。「ペレストロイカ」(立て直し)の名でソ連の改革に着手して、欧米との関係も改善、米国との核軍縮に合意した。外国では高く評価されノーベル平和賞も受賞したが、1991年のソ連崩壊を止められず国内では批判を浴びた。タス通信などによると、2020年から入院。死因は明らかにされていない。>
■ゴルバチョフ氏とその時代■
(新潮社「ゴルバチョフ回想録」などによる)
1931年3月 ロシア共和国で農家の長男として生まれる
1952年10月 共産党に入党
1953年3月 スターリン死去
1955年 モスクワ大学卒業
1979年12月 ソ連軍、アフガニスタン侵攻
1985年3月 共産党書記長に選出
1986年4月 チェルノブイリ原発事故
1987年12月 ワシントンで米ソ首脳会談。中距離核戦力(INF)全廃条約署名。
1989年11月 ベルリンの壁崩壊。
1989年12月 地中海マルタで米ソ首脳会談、冷戦終結を宣言。
1990年3月 ソ連初代大統領に就任。
1990年12月 ノーベル平和賞を受賞。
1991年4月 日本を公式訪問。
1991年8月 共産党書記長辞任を表明。
1991年12月 ソ連大統領を辞任。ソ連崩壊。ロシア連邦誕生。
1994年12月 ロシア軍が、独立を求める南部のチェチェン共和国に侵攻。
1999年12月 エリツィン大統領が辞任し、プーチン首相を大統領代行に任命。
2000年3月 プーチン氏が大統領戦で当選。
2007年4月 エリツィン氏が死去。
2008年4月 北大西洋条約機構(NATO)首脳会議でウクライナとジョージアが 「将来の加盟国」に
2008年8月 ロシアがジョージアに軍事介入
2014年3月 ロシアがクリミア半島併合
2022年2月 ロシアがウクライナ侵攻
2022年8月 ゴルバチョフ氏が死去
(以上、記憶の確認と記録として掲載した)