TomyDaddyのブログ

毎日の健康管理の記録、新聞、雑誌、書籍等の読書について感想を書いていく。

本庶佑さんのノーベル生理学・医学賞受賞に触れて雑感!

 2018年のノーベル生理学・医学賞本庶佑さんが漸く選ばれた! 漸くというのはもう10数年前から「今年こそ」と言われてきたからだ。今回の受賞理由は「PD-1」を発見しこれを元ににがん治療薬「オブシーボ」を開発したことによる。2015年の大村智博士の研究も後に臨床に結び付いたこと大で受賞に輝いた。岸本忠三博士の研究もリウマチ治療に寄与している。満屋裕明さんの開発(発見)したAZT(後続の薬も含め)何百万人のエイズ患者の治療に寄与している。満屋裕明さんに対しても岸本忠三さんにも私はノーベル賞を差し上げたい(私の戯言を容赦)。
 今回の本庶佑博士の受賞については、これから新聞や雑誌で業績の詳細や日本の科学研究の在り方も含めて特集記事が続々と組まれるだろう。ここでは私見を述べたい。インターネットで興味深い記事を見つけた。それは次のような東大総長メッセージである。
 「本庶佑先生のノーベル生理学・医学賞に際し、心よりお慶び申し上げます。本庶先生は、東京大学医学部旧栄養学講座の助手として、免疫学の研究に従事されました。今回のノーベル生理学・医学賞の受賞は、免疫チェックポイント分子「PD-1」を発見し、これをもとに、がん治療「オブシーボ」が開発されたことによります。これは本学としても大きな誇りであり、本庶先生は本学の『知のプロフェッショナル」の先達のお一人です。本学は、深い教養と基礎力に支えられた「知のプロフェッショナル」の育成に努め、これからも多様で卓越した学術研究を世界に発信し続けたいと考えています。本庶先生の栄誉を心からお祝い申し上げます。」
 本庶さんは1974年~1979年まで東大に在籍された。「免疫学の本庶先生がアメリカから東大に来られたそうだ」という話題は当時もビックニュースだった。その頃、東大の免疫学教室は多田富雄教授。不明な私は本庶さんは免疫学教室の助手で来られたと勘違いしていた。免疫学ではなくて旧栄養学教室の助手だったのだ。今回の受賞のインタビューの何処かで「まだ小さかった子供に日本で教育を受けさせたいと考えて帰国を決意した、米国での研究環境を捨てがたがったが」という旨の話されていた。東大でのポストはそれなりに時を得た選択だったのかもしれない。
 1979に教授として阪大に移った本庶さんは、1981年の朝日賞を「免疫遺伝学への貢献、免疫グロブリン遺伝子の研究」の業績で受賞。この折の医学分野からは本庶さんの他に利根川進(免疫学)・多田富雄(免疫学)・葛西森夫(外科学)の計4名が受賞している。同年11月には「真核細胞における遺伝子ことに免疫グロブリン遺伝子の再構成と発現に関する研究」の業績で第25回野口英世記念医学賞を受賞した。この際の受賞式に記者として私は参加した。「本庶氏は免疫グロブリン遺伝子がリンパ球の分化の過程で再編成され機構を分子レベルで解明。1977年にこの免疫グロブリン遺伝子の再構成が不要なDNA部分の欠失によって起こることを世界で初めて実証的に証明、云々・・・」の記事を写真入りで紹介した(1981年11月「医学界新聞」第1475号)。その後も、1992年にベーリング・北里賞を初め多くの学術賞を受賞。国の内外の評価も既に高く2013年には文化勲章を受賞された。2015年大村智さん、翌年2016年の大隅良典さん両名に対してはノーベル賞の後で文化勲章が授与されたことはわが国内評価が世界に遅れた誹りは免れないだろう。
 ともあれ、「目先の利便性よりも基礎研究をもっと厚くしないとだめだぞ日本」と科学の専門家でない私ですら強く思う。