TomyDaddyのブログ

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「私のC型肝炎物語」第3章:PEGインターフェロン治療に挑戦ー(1)晴天の霹靂から8年後: 2006年8月

(1)晴天の霹靂から8年後:2006年8月

 

   東大病院消化器内科(小俣政男先生)で、1998年(平成10年)年12月からC型慢性肝炎の治療を開始した。治療とはいえ原因除去治療ではなく経過観察であった。肝臓庇護療法としてウルソを毎食後2錠の服用を続けていた。ウルソとはウルソデオキシコール酸である。日本では伝統的民間薬の「熊胆(くまのい)」として知られる。

■晴天の霹靂から8年後…■

   肝臓の状態を示す血液検査結果は横ばい状態。主治医の小俣先生からも何の指示もなかった。経過観察の日々であった。肝臓組織内への鉄分蓄積が悪影響を及ぼす。そのため、鉄分の多い食物は食べないようにしていた。当時から、対症療法の一つとして瀉血療法があった。瀉血は血液を抜き副次的に鉄分を減らすことにより肝臓を保護しようとする治療法。

瀉血をやりますか?」と言われたこともあった。しかし血液を抜くことで体力が落ちるような気がして躊躇していた。

   その頃、最新治療として「PEGインターフェロン療法」が登場してきた。インターフェロンポリエチレングリコールに混ぜて注射することで血中の滞留時間を長くする。ドラッグデリバリーシステム(Drug Delivery System; DDS)の具体例の一つであろう。この薬にさらに抗ウイルス薬のリバビリン内服を併用する。この新治療法が、C型肝炎に対する当時としては最新治療法であった。

   また、C型肝炎は高齢者になるほど肝硬変から肝癌への進行の頻度が高くなるので、加齢がリスク要因の一つと言われていた。そのころ私は満59歳と6カ月であった。

■夏休みを利用して2週間の入院を決意■
 6月の外来診察の際に、「PEGインターフェロン療法をやりたい」、と小俣教授に申しでた。インターフェロン治療には発熱等の強い副作用が知られており、初期2週間の入院が必要であった。インターフェロン治療には発熱等の強い副作用が知られており、初期2週間の入院が必要であった。会社の夏休みの期間に合わせれば仕事にあまり影響を及ぼさずに治療ができると試算して8月入院治療を計画した。

 2004(平成16)年8月に、勤務先のI書院の役員に就任していた。1年後2005(平成17)年には常務取締役に就任した。普段はほとんどが会議(課長会議・部長会議・企画会議・役員会)の連続であり、長期に休める状況にはなかった。

 ともあれ治療に入ることを決断した。2006年(平成18)年8月9日(水)から治療に入ることを社長に報告して了承を得た。その時の記録をノートにメモしておいた。今回そのメモから、「PEGインターフェロン治療経過」を、次回から経時的に採録する。 (2018.10.18)

 ▲入院中も大学ノートに経過をメモ(上写真)。

(「私の型肝炎物語」第3章:PEGインターフェロンに挑戦―〔1〕晴天の霹靂から8年後: 2006年8月)