TomyDaddyのブログ

毎日の健康管理の記録、新聞、雑誌、書籍等の読書について感想を書いていく。

私の「医人」たちの肖像―(5)伊藤正男さんと藤原賞受賞~ 1981年7月10日(金)

(5)伊藤正男さんと藤原賞受賞 ~1981年7月10日(金)

 

 1981年7月10日(金)。東京・霞が関の日本プレスセンターで開かれた伊藤正男さんの藤原賞受賞祝賀会を取材した。
藤原賞受賞講演会を聞く
●1981年7月10日(金):
 「藤原賞受賞祝賀会開かれる―伊藤正男氏(東大教授・生理学) 小脳研究の業績で」というタイトルで、医学界新聞・第1461号(1981年8月17日付)の記事にした。この折の取材記録は、私にとって初めての囲み記事であった。自ら写真も撮影して記事の上に挿入した。記事の冒頭のパラグラフは、以下のようだ。
 「実験がのってくると、伊藤先生はちょっと躁状態になってくるようですね」と教室員の一人が語っていたが、若き日の伊藤正男氏が、キャンベラで脳研究の泰斗エックルス教授に師事した時のことを想起させる。というのはかつて、伊藤氏が『仕事中のEcclesは鬼のような感じでした」、と語っていたからである。・・・」
 この時が、伊藤正男さんに直に接した初回であり、執筆した原稿は私の若書きの拙い記事となった。
日航御巣鷹山墜落と塚原賞の創設■
 この祝賀会で司会をされたのが、塚原仲晃さんだ。当時は東大・生理学教室から大阪大教授(基礎工学部)へ転出されていた。この四年後、1984年8月12日(木)、日本航空の東京発大阪行123便群馬県上野村御巣鷹山中に墜落した際に、塚原さんは犠牲者の一人となった。早すぎる死を悼み、その卓越した業績を偲んで、脳研究の分野で若手研究者を顕彰するために「塚原仲晃賞」が創設された。生命科学の分野において独創的な研究を行っている50歳以下の研究者を対象に、賞牌及び賞金百万円が授与される。塚原仲晃賞は、ブレインサイエンス振興財団によって管理されている。第1回(1986年)以降、2018年には第33回の授賞と顕彰を重ねている。
 
この後も、Eccles博士が来日して、上智大学における講演会(1990年11月9日)の折に、伊藤正男さんにお目にかかった。さらに三〇年後、2011~2013年にかけて、医学雑誌『生体の科学』編集会議において、伊藤さんに毎月お目にかかる邂逅の時を幸いにも持てた。
(2018.10.21)
私の「医人」たちの肖像―〔5〕伊藤正男さんと藤原賞受賞~1981年7月10日)