TomyDaddyのブログ

毎日の健康管理の記録、新聞、雑誌、書籍等の読書について感想を書いていく。

私の見た「エイズ文化史」逍遥―(2)第5回国際免疫学会議1983

(2)第5回国際免疫学会議1983・京都
5回国際免疫学会議における大きなトッピクスは、エイズAIDS)が日本における医学関連の会議で大々的に取り上げられる先駆けとなったことであろう。当時、エイズが英語でAIDSAcquired Immunodeficiency Syndrome)の略語(頭辞語)であることすら知られていなかった。学会の折にもAIDSを初めは「エイ・アイ・デイ・エス」と発音していた。「エイズ」という言葉が日本の新聞やテレビを初めとしたマスコミに再三登場するようになったのは、京都市の国際会議場で1983年8月に開催されたこの国際免疫会議以降であったと思う。学会のプログラムに予定されていたAIDSセッションは小さく、予定会場も数ある会場の中で小部屋が割り当てられていた。しかし、学会当日までにエイズは大きなテーマに変貌していた。会議の部屋が急遽大きなものに変更された。それでもエイズ会議場は押すな押すなの盛況となった。会議参加者に加えてマスコミをもたくさん取材に押し寄せて会議場は文字通り立錐の余地なしとなった。私たちもこの折の取材内容を医学界新聞(1983103日付・第1568号)大きな紙面を割いて紹介した。
ワークショップ″AIDS″原因から診断・治療まで
ワークショップ"Acquired Immunodeficiency syndrome " が、8月23日の午後に開かれた。ポスターセッション会場も急遽大会場が割当てられ25演題の講演が行なわれた。どの会場もごった返し一種異常な雰囲気ですらあった。この折の取材に基づき、医学界新聞では「世界初の大規模な会議カタストロフ的状況の打破めざし」の見出しを付けて紹介。ワークショップの座長は、S.Zolla-Pazner女史(VA病院、ニューヨーク大学)とT.J.SpiraアトランタCDC)の両氏が務めた。この時点ではエイズの原因も不明であり、「今のところ原因も有効な治療法も知られていなのだから過去のカタストロフ的疾病のミニチュアを人が喚起するのも肯ける」とPaznarは座長イントロで述べたのも肯けた。原因に関しては成人T細胞白血病ATL)の原因ウイルスであるATLV(あるいはHTLV)との関連が有望視されていた。CDCの代表として発表したSpiraは輸血とAIDSの関連に言及していたが確たるものではなかった。ワークショップ後に記者会見が設定された。AIDSフィバー振りを反映し100人以上の記者が参集し、座長のPazner, Spira両氏が記者の質問応じた。
Pazner〕ウリルスが原因であろうとするのが一般的見解だが確定的なことは言えない。候補としてはサイトメガロウイルス、エプスタイン・バーウイルス、アデノウイルスHTLV(or ATLV)の4ウイルスが挙げられるが複数のウイルス感染も考えられる。
Spira〕特定の物質がAIDSの原因なのか、免疫欠損による結果なのかよくわかっていない。
 記者会見においてもAIDSの原因、治療について確定的な答えは全く出されず未だ群盲像を撫でる式の研究段階であることを露呈していた。しかし,実際は19838月の時点でAIDISウイルス発見に至る研究の鍔迫り合いが、フランスのパスツール研と米国のNIH等を中心に進行していたのだった。
 
 
(「私の見た『エイズ文化史』逍遥2)第5回国際免疫学会議1983・京都)