TomyDaddyのブログ

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私の「医人」たちの肖像―(70)山村雄一さんと「第4回国際免疫薬理学会議」~1988年5月16日(月)

(70)山村雄一さんと「第4回国際免疫薬理学会議」~1988年5月16日(月)

 

   1988年5月15日(日)~17日(火)。神戸と大阪に出張取材に行った。まず5月15日に、神戸市で第91回日本小児科学会学術集会のシンポジウム「予防接種の今後」を取材した。翌16~17日は大阪で、第4回国際免疫・薬理学会議を取材した。
■第4回国際免疫薬理学会議■
●1988年5月15日~17日:

 第4回国際免疫・薬理学会議の会長は、山村雄一先生(大阪大学名誉教授・免疫学)で、東市郎先生(北大教授)が事務局長であった。この間の取材活動を、医学界新聞・第1802号(1988年6月20日)に、「第4回国際免疫薬理学会議開催」のタイトルで掲載した。
 「各種免疫病の解明と治療法を求め―模索のつづくエイズワクチン」の見出しを付けて、概要をレポートした。難解な内容の国際会議であったので、学会抄録を参照して記事をまとめた記憶がある。
■ここでもAIDSが討議された■
 
会議ではシンポジウムの一つに「AIDS」が採り上げられた。山村雄一会長と米国(UCLA)のJohn L. Faheyが、このシンポジウムの司会を務めた。Faheyさんが、自ら米国のHIV感染の現状と将来予測を冒頭で概観した。
 「1986年~1991年までに米国のHIV感染は100~150万に上り、そのうち10~30%が5年以内にエイズと診断される。」
 五人の演者はエイズウイルス発見グループの一人シャーマン(Jean‐Claude Chermann、フランス パスツール研)以外は、全て米国勢であった。臨床免疫、感染症、輸血等々の広範な学会や研究会で、HIVエイズ関連テーマが、この頃、繰り返し取り上げられていた。
阪大の免疫学を確立した山村さん
 山村さんは、結核を中心とした免疫学に貢献した臨床免疫学者である。大阪大学医学部第三内科教授のあと大阪大学総長を務めた。1918(大正7)年7月27日に大阪で生まれ、1990(平成2)年6月10日に逝去された。
 座談会「第5回国際免疫学会議への招待」(1983年)他で、山村さんにお世話になった。山村さんは、研究者であるだけでなく優れた教育者であった。山村さんの薫陶を受け、岸本忠三さん(大阪大細胞工学センター教授、後に大阪大総長)を初めとして、傑出した免疫学者を輩出した。
 「阪大免疫の強さの秘密―100年を超える伝統と研究」という興味深い紹介文を、熊ノ郷敦(大阪大学医学研究科・免疫学フロンティア研究センター教授)が書いている。これを大阪大学ホームページで読んだ。
 山村さんの長男の山村雅一さんは、東海大学教授で、二男の山村研一さんは熊本大学教授だ。お二人とも既に名誉教授になっておられるだろう。山村研一さんには、「癌研究に関する座談会」に出席いただいたことがある。ヒポクラテスの教えの通り、「医の系譜」がここでも保たれている。
(2019.4.11)
(私の「医人」たちの肖像―〔70〕山村雄一さんと「第4回国際免疫薬理学会議」~1988年2月16日)