TomyDaddyのブログ

毎日の健康管理の記録、新聞、雑誌、書籍等の読書について感想を書いていく。

「私のC型肝炎物語 第3章:PEGインターフェロンに挑戦―(6)PEG-IF11回目注射で中止決定

(6) 「私のC型肝炎物語 第3章:PEGインターフェロンに挑戦― IF 6回目注射で中止決定

 

   8月9日(水)~18日(土):11日間の入院で、インターフェロン筋肉注射を2回済ませたところで私は自宅に復帰した。翌19日(日)は自宅で静養していた。

■通常勤務に復帰した■

  • 2006年8月20日~8月25 日:

   20日(月)~25日(金):定時の午前9時には出勤して通常通りに業務を行った。この時から会社勤務で仕事を継続しながら治療が始まった。年齢は59歳と8カ月であった。インターフェロンの注射は金曜日の午後に行う治療スケジュールを組んだ。注射後に副作用がでても、土曜日と日曜日は原則として勤務が休みなので、その2日間で乗り越えて、翌週の月曜日から通常勤務に戻ろうという計画である。実際にそのように実行した。私の場合は途中で副作用の一つである白血球(特に好中球)減少が著しく、新たな感染を恐れてインターフェロンを半分の量に減らすなどの処置を講じた。結局は開始後11週目の時点で、治療中止を余儀なくされた。この時の治療経過をノートのメモと手帳の行動記録から振り返ってみる。

   ■通院でIF注射を継続■

  • 2006年8月25日~10月20日

<3回目> 8月25日:14時35分。主治医が今村潤先生に変更になる。

<4回目> 9月1日:13時30分。順調だ。

<5回目>: 9月8日:中止(副作用)。白血球(好中球が20%)減少。血小板減少。副作用が強いため主治医がIF注射の中止を指示した。残念だ。この日の採血でウイルス量を量っていた。後日の結果で、HCV-RNQ 468という結果であった。ウイルスは全く減っていない。

<6回目> 9月15日:13時。

<7回目> 9月22日:13時45分(半分量)。

<8回目> 9月29日:13時30分(半分量)。注射の後で羽田空港へ直行する。

午後15時30分~17時:羽田から千歳空港へ飛ぶ。18時頃に札幌グランドホテルに着く。

午後20~22時:札幌市南区すすき野「川甚本店」で、雑誌「糖尿病診療マスター」の編集会議を行った。会議のあと二次会で飲んでホテルに戻ってから嘔吐した。仕事がらみとはいえ禁酒できなかった。

<9回目> 10月6日:9時10分(半分量)。この日も、白血球数が21.1と減少していた。さらに、採血から検査したHCV-RNAは660と増加していた。インターフェロンは全く効果がなかったのである。

<10回目> 10月13日:13時(半分量)。

<11回目> 10月20日:13時に中止決定。この時は、前日の19日から長崎へ出張していた。

   午前7~9時:長崎市内で雑誌「臨床整形外科」の編集会議に出席した。会議を済ませて長崎空港へ移動した。

午前9時35分~11時15分:長崎から羽田空港に戻る。羽田から本郷に移動し東大病院へ直行した。採血を済ませてから消化器内科の受付をして診察を待つ。

午後13~14時:検査結果と本日までのIFの効き具合から、主治医の今村潤先生がPEGインターフェロン治療中止決定を判断した。

   ■PEGインターフェロンは失敗に終わる■

   「PEGインターフェロン」は副作用が強い治療法であった。発熱に加えて、白血球、特に好中球の減少、血小板減少等の副作用が強いため中止を余儀なくされた。結局,初回~4回は規定量のIF注射をした。5回目は中止。6回~10回目は規定の2分の1量のIF注射を実施した。この折の治療段階では、HCVの型(1bタイプで高ウイルス量)によりPEG-IF療法が効き易いタイプと効きにくいタイプがあることの判別ができなかった。治療効果判定の指標となるIL28B遺伝子多型検査が発見されたのは、この時から数年後であった。従って、振り返ると私のC型肝炎ウイルスはPEG-IF治療には不適応タイプであった。

   加えてその頃の勤務状況は常軌を逸するほどの忙しさだった。中止決定の受診日(10月20日)の二日前10月18日(水)には、午前9時から東京女子医大に行く。戻って午後13~15時には医学雑誌部のK会議を主催する。終わって19時30分頃にタクシーで馬場先門へ行く。東商ホールで開催した雑誌「胃と腸」編集会議に参加した。会議は23時過ぎに終了し、タクシーで24時過ぎ川崎市麻生区の自宅に帰宅した。翌日、10月19日(木)は昼前に羽田空港に着き13時55分発のANA便で長崎へ出張した。

   ■「59歳の抵抗」というあがき■

   石川達三の『四十八歳の抵抗』という小説を読んだことがある。このとき私は59歳と10カ月であった。C型肝炎のリスクファクターの一つに年齢因子があった五十歳台のうちに「PEG-インターフェロン治療」に挑戦したいという希望から治療に踏み切った。これは無駄な試みであった。私は、『五十九歳の抵抗』をしたのだった。

(2018.11.7)

(「私のⅭ型肝炎物語」 第3章: PEGインターフェロンに挑戦―〔6〕 IF6回目注射で中止決定)