TomyDaddyのブログ

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私の「医人」たちの 肖像―(23)Leopold George Koss vs. 高橋正宜:対談「臨床細胞学の過去・現在・未来」 ~1983年10月12日(水)

(23)Leopold George Koss vs. 高橋正宜:対談「臨床細胞学の過去・現在・未来」~1983年10月12日(水)

 

   1983年10月12日(水)。新宿の京王プラザホテルで、世界臨床病理学議に出席のために来日したコス(Leopold George Koss)博士と高橋正宜先生の対談を収録した。
「対談:臨床細胞学の過去・現在・未来」■
●1983年10月12日(水):
 
「臨床細胞学の過去・現在・未来(Leopold G. Koss vs 高橋正宜)」のタイトルを付けて、この折の対談を、医学界新聞・第1583号(1984年)で紹介した。
 コス博士は細胞病理学(Cytopathology)領域における創始者の一人で、“ Diagnostic Cytology and Its Histopathologic Bases ” の著者として著名であった。私が医学書院・洋書部に在籍時代に、日本でもよく売れた有名な洋書籍の著者として名前だけを知っていた。今回、次の履歴を知った。1920年10月2日ポーランド生まれ。2012年9月11日に亡くなった。対談収録の1983年10月は、満63歳を迎えた頃だ。ユダヤ人であり両親と妹たちをホロコーストで失った。1942年にナチの手からスイスに逃れた。スイスで医学を学び1946年に、ベルン大学で学位を取得。1947年に米国に渡り、病理学を学びSloan-Kettering Cancer Center他を経て、1973年にはMontefiore Medical Center 病理学の主任教授に就任している。
 一方の高橋正宜先生(当時は岐阜大学教授・臨床病理学)は、北大医学部の出身で、医学書院から“Cancer Cytology”という英文書籍を出版していた。その本が毎日出版文化賞を受賞されていた。この時から数年後、高橋先生は岐阜大学教授を辞して、検査機関会社SRLの顧問に就任した。1987年、SRL(エスアールエル)の高橋研究室を訪問して、インタビューしたことがある。SLRとは、Special Reference Laboratories「特殊(臨床検体)検査の標準となるような検査機関」の意味である。
 「臨床検査の質向上を求めて―R. Rickert、橋正宜両氏に聞く」のタイトルで、医学界新聞・第1775号(1987年)に紹介した。
 翌日、10月13日(木)の午後、14日(金)は朝から、京王プラザホテルで臨床病理学会の取材に行った。取材結果は「第12回世界臨床病理学会議開催」として医学界新聞(第1576号)で紹介した。この国際学会の会長は、小酒井 望先生(当時、順天堂大学教授・臨床病理学)、事務局長が河合 忠先生(当時、自治医大教授・臨床病理学)であった。小酒井望さんについては、別稿で既に触れた。
(2018.11.14)
(私の「医人」たちの肖像―〔23〕「Leopold G. Koss vs. 高橋正宜:対談「臨床細胞学の過去・現在・未来」~1983年10月12日)