TomyDaddyのブログ

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私の「医人」たちの肖像 ―( 24 ) 座談会「免疫学の近未来―バイオテクノロジーと人間」と「本庶 佑さんノーベル賞・2018年」 ~1983年10月21日(金)

(24)座談会「免疫学の近未来―バイオテクノロジーと人間」と「本庶 佑さんノーベル賞・2018年」 ~1983年10月21日(金)

 

1983年8月21日(日)~24日(木)まで、京都国際会議場で、第5回国際免疫学会議が開かれたことは既に触れた。第5回国際免疫学会議開催から三ヵ月後、1983年10月21日(金)。夕方18時から21時30分頃まで、東京・文京区本郷の医学書院で、免疫学に関する座談会の収録に出席した。
■座談会「免疫学の近未来―バイオテクノロジーと人間」■
●1983年10月21日(金)
 座談会の趣旨は、成功裡に終了した京都における「国際免疫学会議」の成果を踏まえて免疫学の今後を展望するものだった。
 「免疫学の近未来―バイオテクノロジーと人間」というタイトルで、収録した座談会を、医学界新聞・第1580号(1984年)に掲載した。この企画も先輩記者のSH君が担当した。
 出席者は、国際会議・事務局長の多田富雄先生(東大教授・免疫学)、高月 清先生(当時、熊本大学教授・内科学)、岸本忠三先生(当時、大阪大学教授・細胞工学センター)の三名であった。
 多田富雄先生は、千葉大学出身で、免疫学とくに抑制T細胞の研究で評価され、東大教授に就任した。それまで緒方富雄教授が築いてきた東大血清学講座を、新しく免疫学講座に改名したとも聞いた。高月清先生は、京都大学医学部の出身で、その頃に明らかにされた成人T細胞白血病(ATL;Adult T-Cell Leukemia)の発見者として著名であった。京都大学日沼頼夫教授によるATLウイルス(HTLV-1)の発見と相俟って、高月清教授によるATLという疾患概念の確立は、エイズ(AIDS/HIV)ウイルス研究の先駆けとなった。岸本忠三先生は、国際免疫学会議会長の山村雄一先生(阪大第3内科教授、後に阪大総長)の愛弟子で、大阪大学・細胞工学センター(山村雄一先生が創設した医学と工学の橋渡し的な役割の施設)のセンター長を務めていた。岸本先生は、基礎免疫学者であり、インターロイキン6の発見者として知られていた。山村雄一総長逝去のあと、細胞工学センターから大阪大学第三内科の教授に転じ、臨床に移り、十年程後にやはり大阪大学総長になった。岸本先生は、阪大総長を辞めた後、再び基礎免疫学研究を継続されている。
■本庶 佑さんが2018年ノーベル生理学・医学賞に決定■
●2018年10月11日:
 
平成三〇(2018)年のノーベル生理学・医学賞に、免疫学の本庶 佑さんが選ばれた。このことについて分子生物学者の福岡伸一さんが、朝日新聞の連載コラム「福岡伸一動的平衡」(2018年10月11日、朝日新聞)で興味深い記述をしていた。以下に引用する。
 
「本庶 佑がついにノーベル医学生理学賞を受賞した。ついに、というのは、私が京都で分子生物学を勉強しだした1980年代はじめ、彼は既にこの分野のヒーローだったから。ただ、京大出身の絶対的ヒーローがもうひとりいた。利根川進である。遺伝子の数はどんなに多く見積もってもせいぜい数万しかないのに、免疫細胞は百万通り以上のバリエーションを持つ抗体を作れる。この大問題に対して、利根川進は遺伝子の再構成、本庶 佑はクラススイッチという解答を提案した(解答は対立するものではなく相互補完的なものだった)。
 一九八三年に展望した「免疫学の近未来―バイオテクノロジーと人間」は、三十五年を経て、今回の本庶さんのノーベル賞・2018年として結実したと言っても過言ではないだろう。
(2018.11.15)
(私の「医人」たちの肖像―〔24〕座談会「免疫学の近未来―バイオテクノロジーと人間」と本庶  佑さんノーベル賞・2018年~1983年10月21日)