TomyDaddyのブログ

毎日の健康管理の記録、新聞、雑誌、書籍等の読書について感想を書いていく。

「牡丹かは咲き定まりて「静かなり」~国語教育に思う!

 牡丹花は 咲き定まりて 静かなり 花の占めたる 位置のたしかさ (木下利玄)

 牡丹の花は満開にゆるぎなく咲き定まって静かである。そして、その花の占めている
 位置も、なんと確かなことか。

 この歌は中学か高校の国語の教科書に載っていた。いわば強制的に覚えさせられたのだが今でもときおり口ずさむことがある。生まれ育った田舎の家の庭先か垣根の近くに大柄な牡丹が静かにさりげなく咲いている。しかも存在感をもってどっしりリと咲いている風景が浮かんでくる。作者の木下利玄(きのしたりげん)は、1886年~1925に生きた歌人と今回知った。なんと39歳の若さで生涯を閉じている。歌人としての業績もどのような生涯をおくった方かも残念ながら知らない。それでも私の好きな歌人の一人なのである。私が受けた国語教育のお陰であろう。

 最近、興味深い文章を文藝春秋(2018年11月号)で読んだ。「高校国語から『文学』消える」(伊藤氏貴 文芸評論家・明治大学准教授)という記事だ。高校の指導用要領改訂で、これまで高校一年次配当だった「国語総合」は半分の時間に減らされ、残りの半分で契約書やグラフのような「実用文」を学ぶことになる。高二、高三では実質的に「文学国語」と「論理国語」のどちらかしか選択できないようになる。「論理国語」には文学はもちろん、文学評論も入れてはいけないというお達しであるという。何か趣旨が間違っていないか? 大丈夫か日本語と日本文化は・・・。
 他方、義務教育の小学校で英語学習が必修科目に組み込まれたという。先日、拙宅に遊びに来た一年生の孫娘Rちゃんが、「ヘロー、マイネーム‣イズ、リオ」と明るく話しかけてきた。二年後の東京オリンピックなどという目先のことではなく世界を広く感じて生きる手段として英語を学ぶのはよい。しかし、その前に日本語で日本の文化と歴史を学ぶのが先決ではないかと老いた爺は思う。