TomyDaddyのブログ

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私の「医人」たちの肖像― (69)Sydney Brennerさんと「第2回Nature Conference・東京」~1988年1月26日(火)

(69) Sydney Brennerさんと「第2回Nature Conference・東京」~1988年1月26日(火)

 

 英国の科学誌Natureは、1984年に東京支局を開設した。その2年後、1986年1月20日(月)~22日(水)まで、日本で初めてのNature Conference を東京・新宿の京王プラザホテルで開いた。さらに2年後、1988年1月26日(火)~28日(木)、第2回Nature Conferenceが、同じく、新宿・京王プラザホテルで開かれた。Conferenceを取材して、医学界新聞の第1790号(1988年3月21日)で概要を紹介した。
■第2回Nature Conference・東京とBrenner■
●1988年1月26日:
 
第2回Conferenceのテーマは、「Horizons on Molecular Biology」であった。前回(1986)のテーマ「Molecular Biology Becomes Biotechnology」を継承したものだ。
 「分子生物学はバイオテクノロジーの大きな推進力であるとともに生命活動のメカニズムの理解をより深める手立てある。」と、当時のNature編集長John Maddoxが述べたのが、当時の状況を示している。
■生命活動のメカニズムの理解を深める■
 
テーマの意図に沿って、演者として海外からSydney Brenner(英国 MRC)、Donald Brown(米国 Carnegie Institute Washington)、Gustav Nossal(オーストラリア Eliza Hall Institute of Medical Research)、Robert Gallo(米国 NIH)、他が参加した。日本からは、和田昭允(東大 理・教授))、本庶 佑(京大 医・教授)、沼 正作(京大 医・教授)、西塚泰美(神戸大 医・教授)等の錚々たる研究者が参加した。
 開会式直後の全体会議のイントロダクションで、Brenner(以下、ブレナー)さんが分子生物学の歴史的発展に触れた。
 分子生物学の技術の導入で目覚ましい進歩を遂げた例として、免疫学(「抗体の多様性の発見」、他)、発生生物学、等をあげた。分子生物学の揺籃期とされた1976年は、利根川 進氏がバーゼル免疫研で「抗体の多様性の遺伝的起源」を明らかにした年である。
 記者の一人として記者会見、等で接した折に、ブレナーさんは謹厳な科学者というよりも憎めない気さくなお爺さんに見えた。取材記事には、私が撮ったブレナーさんの写真を添えて紹介した。
親日家らしいブレナーさん■
 ブレナーさんは、1927年1月13日南アフリカ連邦ハウテン州で生まれた。南アフリカのウイットウォーターズ大学で解剖学と生理学の修士課程を経て、オックスフォード大学で博士号を取得した。その後、英国ケンブリッジ分子生物学研究所に入所し研究を進めた。1960年代の初頭、メッセンジャーRNA(mRNA)のヌクレオチド配列がタンパク質のアミノ酸配列順序を決定することを証明した。この発見により、1971年にラスカー基礎医学賞を受賞した。遺伝学、神経生物学、発生生物学において、線虫(Cエレガンス)をモデル生物として研究に用いることを確立させ、「器官発生とプログラムされた細胞死の遺伝制御の解明」の業績で、ロバート・ホロビッツとジョン・サルストンと共に、ノーベル生理学・医学賞を、2002年に受賞した。
 ブレナーさんは、第6回(1990年)京都賞も受賞している。この時の授章理由が、「mRNAの発見及び線虫を用いた発生生物学の実験システム開発による分子生物学への先駆的貢献」というものだ。ノーベル賞に先立つ10年前なので、京都賞の面目躍如だろう。2005年~2011年まで沖縄科学技術大学院大学の前身となる同機構の初代理事長を務めた。それらの功績で、2017年には「旭日大綬章」を受賞した。多分、親日家であったと思われる。
■Nature創刊150周年記念講演会―安田講堂
2019年4月4日:
 先頃(2019年4月4日)、英国の科学雑誌Natureが、東京・本郷の東京大学安田講堂において、創刊150周年記念講演会を開いたので参加した。その翌日、2019年4月5日、英国の分子生物学者Sydney Brenner(シドニー・ブレナー)さんが、シンガポールにおいて逝去(92歳)のニュースに接した。ブレナーさんの死は一時代の終わりを象徴するようだ。
(2019.4.10)

 

(私の「医人」たちの肖像―〔69〕Sydney Brennerさんと「第2回Nature Conference・東京」~1988年1月26日)