TomyDaddyのブログ

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私の「医人」たちの肖像―(27)水島 裕さんと座談会「DDS (Drug Delivery System)とは何か」~1984年7月9日(月)

(29水島 裕さんと座談会「DDS (Drug Delivery System)とは何か」~1984

 

   1984年3月16日(金)。午後13時に聖マリアンナ医大水島 裕教授にお会いするため聖マリアンナ医大学川崎市宮前区)を訪れた。座談会の企画相談だった。
■「DDS: Drug Delivery Systemとは何か」■
1984年7月9日(月):
 
1984年7月9日(月)。夕刻から新宿駅ビル内のレストラン・プチモンドの個室で、「DDSの座談会」を収録した。出席者の瀬崎先生は薬の専門家で(当時、東京薬科大学教授)、谷内先生は札幌医科大学教授(内科学)で、後に札幌医科大学学長になられた。「DDS: Drug Delivery Systemとは何か(水島 裕・瀬崎 仁・谷内 昭)」のタイトルで収録した座談会を医学界新聞・第1626号(1984年)に掲載した。
 六年後、1990年10月4日(金)、DDSに関して二回目の座談会を行った。「DDS―最近の進歩と将来展望(水島 裕・永井恒司・桜井靖久)」を医学界新聞・第1991号(1991年)に掲載した。DDSは当時としては新しい概念であった。C型肝炎治療(HCV排除)のため2006年に私が受けた「PEGインターフェロン療法」は、DDSの具体例であろう。
 水島先生は、『物質とは何か―原子から微生物まで』(1965年)の著書で有名な水島三一郎先生(東京大学教授・理学部化学)のご子息だ。慈恵医大から東大大学院を経て、その頃は聖マリアンナ医大教授であった。水島先生は内科(リウマチ痛風)の専門家である。一方、というよりだからこそ創薬研究に力を入れており、大学初のベンチャー企業の嚆矢であるLTT研究所を、1988年に立ち上げた。1990年、聖マリアンナ医大に「難病治療研究センター」を創設しセンター長に就いた。その折に、内覧会に招かれ取材した。「聖マリアンナ医大難病治療緩急センター開設」という記事を書いた(医学界新聞・第1920号)。同研究センター建設に際して、DDSを駆使した新薬開発で獲得した特許料を投入したと側聞した。水島さんは、ダンディーな紳士という印象で、お写真をと撮るのにひと工夫が必要だった。水島さんが、参議院議員になられた1995年以降は、お会いする機会を逸していた。2008年5月7日に心不全で急逝の報に接し黙祷した。
■ここにも「医の系譜」あり■
 水島先生のご母堂(水島三一郎夫人)は、美智子・平成皇后の生家(群馬県・正田家)のご出身である。ご長男の水島 昇先生は、東京医科歯科大学出身で基礎医学研究者だ。2016年のノーベル生理学・医学賞に輝いた大隅良典さん(東工大栄誉教授)の研究を支えたのが、水島 昇さん(現・東京大学医学研究科教授)だ。私の在職中(2010年頃)に、雑誌『生体の科学』でオートファジーを特集テーマに組んだ折に、水島さんに企画相談をした。水島 裕さんのご長女が精神科医衆議院議員にもなられた水島広子さん。「医師は子息を医師にすることを責務の一つとしている」と、ヒポクラテスが言っている。ここにも「医の系譜」があった。
(2018.11.3)


(私の「医人」たちの肖像―〔29〕水島 裕さんと座談会DDS (Drug Delivery System とは何か)」~1984年7月9日〕