TomyDaddyのブログ

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私の「医人」たちの肖像―(8)渥美和彦さん①と座談会「レーザー医学の発展を目指して」~1981年8月19日(水)

(8)渥美和彦さん①と座談会「レーザー医学の発展を目指して」~1981819日(水)

 

 医学界新聞では、日本国内で開催される国際医学会議を事前に広報するために、その分野の第一人者による座談会形式で紹介する記事を年に数回掲載していた。渥美和彦先生に、1981年の6月頃に初めてお目に掛かった。1981年11月に新宿の京王プラザホテルで開催予定の「第4回国際レーザー医学会」に向けて、広報のための座談会を載せて欲しいとの渥美和彦教授(医学部・医用電子研究施設)からの依頼を受けての企画相談だった。少し前に掲載した「わが国の神経系の臨床医学」という国際会議を広報する座談会を読まれての依頼だったのかもしれない。
 当時の東京大学・医用研究施設では、渥美さんが開発した人工心臓を付けた山羊が生存中であった。脳死からの心臓移植が、世界でもまだ医療に定着されていなかった。そのため人工心臓の開発が、世界各国で鎬を削って進められていた。
■座談会「レーザー医学の発展を目指して」■
●1981年8月19日(水):

 1981年8月19日(水)。「レーザー医学の発展を目指して」という座談会を、医学書院の会議室で、夕刻から収録した。「レーザー」という言葉は知っていた。しかし、レーザーとは、誘導放出による光の増幅―LASER(Light Amplification by Stimulated Emission by Radiation)という頭字語であることを、当時の私は知らなかった。
 参加者の陣容を渥美教綬と相談して、葛西洋一(北大教授・外科)、竹本忠良(山口大教授・内科)、長田光弘(東海大教授・形成外科)の三者に委嘱して座談会を組んだ。レーザーの応用が緒についている医学領域からの人選であった。葛西洋一さんには、消化器外科領域へのレーザーメスとしての応用分野から参加して頂いた。北大の先輩でもあり茫洋としたお人柄に好感を抱いた。葛西さんは、この三年後の一九八四年に五九歳の若さで急逝された。竹本忠良さんは、Laser Endoscopy(レーザー内視鏡)や癌治療への応用の立場から参加をお願いした。当時は山口大教授であった竹本さんは、間もなく東京女子医大教授に移られた。当時から医学書院発行の雑誌『胃と腸』誌の編集委員のお一人であることを、私は不覚にも知らなかった。長田光弘さんには、形成外科領域へのレーザーの応用分野から参加いただいた。
この座談会を、「レーザー医学の発展を目指して」のタイトルで医学界新聞・第1467号(1981年10月5日)に掲載した。
■先端医学・医療から統合医療へ■
●2018年11月2日:

 先端医学・医療現場に永年従事された渥美さんは、現在(2018年)は、日本統合・医療学会の名誉理事長として活躍されている。「統合医療」とは、近代西洋医学鍼灸、指圧、マッサージ、カイロプラスティック、ハーブ、ヨガなどの相補・代替医療に伝統医学を加えた理想の医療の考え方だという。その考え方の萌芽を、渥美さんは先端医学・医療に携わっていた当時からお持ちだったようだ。
■「氣」をめぐるユニークな対談■
 渥美さんが八六歳の2015(平成27)年、心身統一合氣道会の藤平信一会長と「『氣』とは」のテーマで対談をしている。この対談のなかで渥美さんが述べている興味深い件を紹介する。
 「『氣』とは一体何なのか、私がやってきた近代医療というのは、人工心臓やレーザー医学、コンピュータによる病院の自動化など最先端の技術を使っていましたが、そこには氣の研究はありませんでした。しかし、医学をつくり出したヒポクラテスは、氣のことを「人間の中心にあって色々な病氣を起こしたり治したりするものと説き、氣を養うことが重要だと言っていました。私は、彼が教えた場所であるコス島(ギリシャ領の島)も見に行きましたが、素晴らしいところでした。また、中国医学では「気」が基本としています。私自身、現在、難病にかかっていますが、西洋医学では治らないものでも、氣を使った統合医療で治るのではないかと考えています。」
(2018.11.2)
 追記:渥美和彦さんは、2019年12月31日に逝去された。享年91歳。


(私の「医人」たちの肖像―〔8〕渥美和彦さん①と座談会「レーザー医学の発展を目指して」~1981年8月19日)