TomyDaddyのブログ

毎日の健康管理の記録、新聞、雑誌、書籍等の読書について感想を書いていく。

私の「医人」たちの肖像―(15)Thomas Kerenyiさんと「選択的中絶手術」 ~1981年11月9日(月)

(15)Thomas Kerenyiさんと「選択的中絶手術」 ~1981年11月9日(月)

 

 1981年の医学界新聞の記事で記憶に残る企画の一つに、座談会「先天異常をどう理解するか」(第1472号、1981年11月9日付)がある。座談会の出席者は、木田盈四郎(帝京大学助教授・小児科)、日暮 眞(山梨医科大学教授・保健学)、松井一郎(神奈川県立こども医療センター医長・小児科)の三者であった。

 企画担当は、同僚記者のKI君であった。何故このテーマの座談会を企画したのかは覚えていない。染色体異常や先天奇形の問題は、当時から産科、小児医学や遺伝学の重要テーマであったのであろう。

■選択的中絶手術―米国から報告■
●1981年11月9日(月):

 座談会「先天異常をどう理解するか」の掲載号に、「選択的中絶手術に関する報告」というコラム記事を書いて、海外トッピクスとして紹介した。これは米国の著名な医学雑誌ニューイングランド・ジャーナル(N. Engl. J. Med.;1981 June 8)誌上に掲載された論文 “Selective Birth in Twin Pregnancy with Discordancy for Down's Syndrome"を、日本語に要約して紹介したものであった。概略すると次のような内容であった。

「四十歳で初めて妊娠した女性が高年齢出産には先天異常の発生率が高いのを危惧し、妊娠第17週目に、羊水穿刺による検査をうけたところ、胎児は双生男児で、その内一方はダウン症であることが確認された。一方に障害をもった双生児を得るか、あるいは母親になる最後の機会を放棄するか、その女性にとってもつらい選択であった。その時、「選択的中絶」の手術がかつて1978年にスウェーデンで成功したことがあると聞いた。女性は、その危険なチャンスに果敢にも賭けることを決意、ニューヨークのMt. Sinai病院にKerenyi博士を訪れた。『手術は大変危険なものであり胎児は両方とも死ぬかもしれないし、残った胎児も未熟児で生まれるかもしれない』、と博士は警告したが、彼女は手術を希望した。(中略)選択的中絶手術が成功して、妊娠第40週で約2980gの健康な男児が生まれ、続いて胎盤と死んだ胎児の細胞が凝塊となって排出された。Kerenyi博士は、『もしこの手術を行なわなかったら、その女性は双児とも中絶したであろうから、結果的に一人の生命を救うことができた』、と強調している。(中略)医学の進歩に伴い胎児の死亡率は確実に減っているが今回の手術の成功もまたソロモンの智恵を試すとともに人類に新たな『子宮の中の選択』をせまるものといえよう。」
 この記事は、医学トピックの紹介として、当時としては興味深いコラムであったと思う。この時から二十六年後の2007に、私の長女が双胎妊娠をした。初孫の誕生に際し、選択的胎児手術を身近に体験することになろうとは、当時は知る由もなかった。

■Thomas D. Kerenyi 博士とは?■

 今回このシリーズ紹介にあたり、件の論文をインターネットで検索するとすぐ出てきた。しかし、肝心のKerenyi博士に関しては、ニューヨークのMt.Sinai病院のドクターであることしかわからない。直接おめにかかったことはないが、敢えて私の「医人」たちの肖像の一人として取り上げた。

(2019.6.12)

 追記: 本日、Kerenyi博士について、再度、インターアネットで検索してみた。すると、以下に記述する新たな情報をみつけた。Kerenyiさんは、わたしがブログで紹介した、2019年に亡くなっていた。

 「 Thomas Kerenyi Obituary(2019) New York」という記事をみつけた。「死亡記事」である。Kerenyi博士は、ニューヨークで、周産期医学・医療に62年間余にわたって従事した。Mount Sinai病院において産婦人科と生殖医学のスペシャリストとして多大な貢献をした。1960年にWeill Cornell Medicalを卒業し、Mount Sinai病院で、インターン、レジデントを経て、1965年から一貫してMount Sinai病院に勤務していたようだ。件の死亡記事にはこうあった。
  We also celebrate his incredible life. His charm his intelligence, his wit, his kindness and his dedication to his chosen profession. We are blessed to have been part of his life for 40 years.
 この記事は、New York Times on Dec.8, 2019 と明記されていた。死亡記事としては絶賛に近い弔辞ではないだろうか。

 (2022.6.3)

(私の「医人」たちの肖像―〔15〕Thomas Kerenyiさんと「選択的中絶手術」~1981年11月9日)