TomyDaddyのブログ

毎日の健康管理の記録、新聞、雑誌、書籍等の読書について感想を書いていく。

千歳烏山寺町御朱印巡り

 京王線千歳烏山駅から寺町で寺院巡り散策を楽しんだ。12時過ぎに千歳烏山について駅近の「武蔵野うどん一彩」でお昼をいただいた。肉饂飩・山菜饂飩の並盛が770円だった。閑静な住宅街を歩いて途中で旧甲州街道を横切り中央道の高架下を抜けると寺町だった。なんでこんな所にお寺が沢山あるのだろう。お寺があるということはこの辺は古戦場の跡でかつては戦いで倒れた人達が葬られていたのだろう。府中市多磨霊園横の浅間山近辺の人見街道あたりも古戦場の跡かと思う。このあたりは鎌倉街道の続きなのかもしれない。寺町では最初に幸龍寺に行った。鬱蒼とした森が裏手にあった。そのあと乗満寺、常栄寺、源正寺、妙壽寺、多門院、妙高寺を拝観した。最後に高源院を観た。ここはまるで京都のようだ。入り口はそんなに大きくないが中に入ると沼があり朱塗りの橋と鳥居が夕陽に影を落としていた。10月の最後の水曜日の午後のひとときこんな近くにふるい日本がここにもあった。

新宿しょんべん横丁に思う!

 昨日は久しぶりに池袋西口界隈を散策した。ロサ会館というゲームセンターや飲み屋などが入っているビルだ。いまから40数年まえにこの界隈で夕食を済ましたりした。その後、東武東上線大山駅近くで旧勤務先のOB懇親会を行った。その帰り道に共に小田急沿線に住むよしみで友人に誘われて新宿西口の思い出(しょんべん)横丁に寄った。友人THくんは馴染みの店があるらしい。私はまったく久しぶりだ。

 驚いたことに夕方18時を過ぎたらお客さんの半分以上は外国の方だ。英会話教室のノバに行くよりココで外国人を掴まえた方が英会話の勉強になりそうだ。来年の東京オリンピックを控えて日本が変わりつつあるようだ。

 ところで、思い出横丁もゴールデン街も共に昭和の遺産であり貴重な文化遺産と言える。海外からのお客さんも古き良き日本のエネルギーと温もりを思い出横丁に感じているのではないだろうか?

「有終の医療」から「有終の人生」の実現を求めて!

 昨日はかつて勤務していた会社の先輩のが入居された「介護付有料老人ホーム」を訪問した。その手土産に、いま断続的にこのシリーズで書いている<私の「医人」たちの肖像―日野原重明さん>の1回~10回までをプリントしてお渡ししてきた。このなかで1992年に聖路加国際病院が完成した折に私が日野原さんにインタビューしたときの話も含めた。
 「人は一生をおわるにあたり、<私の人生はそれなりによかったのではないか>と思いながら最期を迎えられたら一番よいのではないか、そうなるように手助けをするのが<有終の医療>という意味だ。」
 まことにそうであろう。医療に限らず、生きてきた証ー家族のとこと、社会のなかで過ごしてきた仕事のこと、等々。<私の人生はそれなりによかったのではないか>と思えることを願いながら、私はこの日録を記述している。

 

 

 

終の住処家考!

 旧勤務先の人達との懇親会があり参加した。今回は参加者のお一人が高齢で足もとが覚束ないので来てくれれば嬉しいとの意向を受けて、その方の入居している老人ホームを訪ねた。一昨年に東上線大山駅近くの老人ホームに入居していた。その直後に脊柱管狭窄症の手術をされた。術後の経過はよく歩けるのだが、今度は泌尿器の具合が悪く外出は控えているのだという。私より干支一回りくらい年長なので齢は84~85歳くらいだと思う。生涯独身でこられた方である。今度の住まいは「終の住処」ということになるのだろうか?

 パソコンで、「ついの」と入れて文字変換すると、「竟の」「対の」が先に出る。この際の「ついの」は「終の」であろう。最後の住処ということになる。訪れたころは、「グランダ大山弐番館」というベネッセの介護付有料老人ホームである。この方のお部屋は42.0平米で、ミニキッチン、お風呂付である。4階建ての4階北西角部屋である。夕刻3時には西日が暖かくさして明るい。食事は三食とも食堂で食べることができる。部屋の掃除も週に二回は定期的に行ってくれる。公共の施設として図書室、カラオケ部屋もある。有料だが床屋さんも来てくれる。立地の大山は池袋駅から三駅いう利便な場所だ。四階の窓からみると緑の林も見える。つまり「至れり尽くせり」なのだ。聞いたところ入居金は3,500万円で、さらに毎月(食材費、管理費、上乗せ介護費用)20数万円がかかるとのことだ。費用は一筋縄では行かない。これは大変なことだと実感した。

 それにしても待てよ。三食昼寝付きで、余り便利なので生きるのがやになってしまわないかな? 

「新青春の門 第九部 漂流篇」を読みたい!

 五木寛之さんが中断していた「青春の門」の続編を「新青春の門 第九部 漂流篇」として再開するという。主人公の伊吹信介がバイカル地方を旅する話で始まるらしい。

 「ロシアでは流れ者のことを「ブラジャーガ」と呼び、哀れんだり軽視したりしません」と五木さんが書いている。「青春の門」は五木寛之さんの青春小説で、今から40年くらい前に読んだ。九州からでてきた主人公伊吹信介が東京(新宿近辺)にでてきて成長していく物語である。どうのような場面で中断していたかは覚えていない。続編は、主人公の伊吹信介がバイカル地方を旅する話で始まる。さすらいの人生を送っている信介は「一人前のブラジャーガ」として扱われるとのことだ。

 五木寛之自身が九州から上京して早稲田のロシア文学科に入学するが、中退してロシアに放浪の旅に出る。モスクワの夜の街(酒場かな)であったロシアの不良少年との出会いが、ブラジャーガとしての五木寛之自身に大きな転機となる。モスクワでであった不良少年たちとの交流をもとに、「さらばモスクワ愚連隊」を描いて小説家としてデビューする。当時は故郷を失ってあるいは故郷から流れて放浪する若者たちののこと、「根無し草」あるいは「デラシネ」と言っていた。「デラシネ」はフランス語だがロシア語の「ブラジャーガ」と同じ意味であろう。五木さんは50年の幾星霜をへて伊吹信介を再び「ブラジャーガ」として描こうとしているようだ。 早く続編を読んで見たい。

ウイルスと私についての雑感!

 

 ウイルスととは何だろう?かつてはビールスと日本語で言っていた。ウイルスにはいろいろな種類がある。インフルエンザウイルス、ノロウイルス、肝炎ウイルス、ロタウイルス、ヘルぺスウイルス、ほか色々ある。私はC型肝炎ウイルスと共に20数年を生きてきた。帯状疱疹にも数回罹患した。ヘルペスウイルスも私の友達だ。とくに口唇ヘルペスウイルスは私の常在ウイルスのようだ。20歳代の頃から体調が悪くなるとは鼻の下にポチンと赤い小さな吹き出物ができてそれが崩れてくる。これは体調不良のバロメータともいえる。つい最近も下唇の右側に赤い吹き出物が出来始めた。「少し疲れてるな」と思い身体を労わって過ごす。身体はなんて微妙なんだろう。
 ウイルスではないが、お酒を飲みたいのはアルコールが大好きな細菌が人の腸の中に棲んでいるのではないだろうか?お酒を飲むのが習慣になるとアルコールが好きな腸内細菌が増えてきてアルコール摂取を待ち望んでいるのかもしれない?お酒を飲んだ翌朝の方が便通が良い。これはアルコールが好きな腸内細菌がご褒美のアルコールをいただいて一生懸命に消化活動をした結果として便通がよくなるのかもしれない。非科学的な感想を述べた。
 そういえば成人T細胞白血病(ATL)の研究者の日沼頼夫さんは、ATLウイルスの研究から日本人のルーツを解き明かしたりした。ウイルスとは何か?ウイルスは人類のおそらく友達なのだ。

パステルナークを読んでいる!

 「アリョーシャ年代記」(工藤正廣)を読んだ。このあと工藤さんと言えばパステルナークだと想い起した。工藤さんの翻訳した本を幾つか買い求めてあったのを本棚から探してきた。パステルナーク『ジェーニャ・リュベルス』とオリガ・イヴァンスカヤ『パステルナーク 詩人の愛』(共に工藤正広訳)を並行して読み始めた。前者はパステルナークの初期の中編である。後者はパステルナークの晩年の14年を共に生きた女性(平たく言えば愛人)による回想記である。
 「パステルナークの後半生には二つの家庭があった。妻のジナイ―ダと若く美しいオリガ。」
 このオリガの書いたのが後者である。この二重生活の中で完成されたのがパステルナークの代表作といわれる『ドクトル・ジバゴ』は国内での出版はできずイタリアで出版された。『ドクトル・ジバゴ』のラーラはオリガがモデルとされる。ノーベル文学賞の決定と余儀なくされた辞退、作家同盟からの除名と波乱と混沌の時代を共に過ごしたのがオリガである。工藤さんはこういうパステルナークに魅せられてきたのだと知った。