TomyDaddyのブログ

毎日の健康管理の記録、新聞、雑誌、書籍等の読書について感想を書いていく。

家事労働に勤しむ子どもの日に思ったこと

 本日は2020年5月5日(火)だ。朝食後の9時半過ぎから家事労働に勤しんだ。先日、水洗いを済ませて乾燥のために放置しyておいた加湿器をケースに収納した。除湿器も6月頃からの稼働に備えて一旦は収納した。1階と2階のトイレを掃除した。トイレットペーパーも補充した。さら、トイレの洗剤を補充した。さらに、玄関先のタイル床に水をまいてモップで掃除をした。これらに2時間30分を要した。
 家事労働には終わりがない。やればやるほど仕事が出てくる。生活に必要なこれら目立たない家事労働は実は家庭だけでなく、かつて働いていた職場ににもあった。これらは総務課という部署の人たちがこなしていた。文房具、コピー用紙の補充、職場の照明器具の点検と補修、交換等々である。ともすればこれらの仕事は一段と低く見られていた。私が勤務していたのは医学系の出版社であった。やはり、著者と接する編集職、本や雑誌を作る部署に働く人たちのほうが、一段と高く見られていた。制作した本や雑誌は販売して利益を出す必要がある。販売と宣伝業務もある。これら全てを総合して出版社が成り立っていた。
 幸いなことに私が勤務した会社の経営者は同一労働同一賃金制度をいち早く導入していた。すなわち、蛍光灯を交換する総務課のひとも、本や雑誌を編集制作する編集部の人たちも、同じ基準で報酬を支払っていた。編集部の人たちにはこれらの同一基準を逆差別と捉えて労働時間だけでなく労働の質を評価して欲しいという人もいた。しかし、私のいた時代は、最後まで同一時間労働、同一賃金制度が踏襲されていた。これは、やはり驚くほど恵まれた環境にいたのだと思う。

 さて、本日の家事労働に勤しみながら、家庭をもってそとで働いていた42年間は、これらの家事労働をすべからく妻に任せていたことを再認識した。家事労働恐るべきである。