TomyDaddyのブログ

毎日の健康管理の記録、新聞、雑誌、書籍等の読書について感想を書いていく。

『小説の書き方』(井上光晴)が本棚に無い―『あちらにいる鬼』(井上荒野)を読んで

 井上荒野『あちらあにいる鬼』を読み終えた。読んでいる最中に、井上光晴の本は幾つか読んで持っていることを想いだした。『未青年』『心優しき叛逆者たち 上巻下巻』の三冊が見つかった。『虚構のクレーン』と『小説の書き方』という本も買って読んでような気がする。小説のほうはどんな内容なのか一切覚えていない。『小説の書き方』は小説ではなくて、新潮選書の一冊でタイトル通りの小説を如何に書くかの本だったと思う。書棚を捜したが見つからない。もう二度と読まないと思い処分してしまったのかもしれない。たしか以下のようなことが書いてあったと記憶している。小説を書きたかったらノートを四冊用意する。テーマごとにノートを決めて毎日書く。そのテーマの一つ目は、その一日で記憶に残ったこと。二冊目は会った人のこと、三冊目は何だったろうか?とにかく、毎日毎日、四つのテーマをひたすら書いていく。継続していくうちに浮かび上がってくるものができたら纏める。そういう話だったと思う。多分、この本は一九八〇年代の後半に出たのではないか?私は早、四冊のノートを買ってきて書き始めたが1週間と続かなかった。あとで、件の本を見つけて読んでみたい。私の記憶は違っているかもしれない。

 小説『あちらにいる鬼』(井上荒野作、朝日新聞社刊)を昨日から今日にかけて読み終えた。井上荒野さんは、井上光晴の長女である。この本は、父親とその不倫相手の瀬戸内寂聴さんと自分の母親のこと、つまり自分の家族のことを書いているのである。
 「作者の父井上光晴と、私の不倫がはじまった時、作者は五歳だった。」と、本の帯広告に瀬戸内寂聴が推薦の文章を寄せている。構成は、みはる(瀬戸内晴美)と生子(井上光晴の妻)の二人が交互に自分と白木篤郎(井上光晴)との関係や生活を描くという形をとっている。ここで描かれる白木篤郎(つまり井上光晴)の生きざまが凄まじいものがある。これを描き切る井上荒野さんも凄いと思う。やはり、小説家というものはある種の業(ごう)持っているのだと痛感した。突き抜けてしまった女性である瀬戸内寂聴さんも凄いね。瀬戸内さんは98歳で健在だから今ではもう全てが恩讐の彼方で恐いものなしのようにも感じられる。ほんの広告に、「作家生活30周年記念作品」とあるから、井上荒野さんも漸く自分の父親のことを書ききれたのだろう。